『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.582

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り付送り、數百人討取候、, にさせ、水を御持さ候て被遣候、元長被思召出候て之儀、此粥をのみ、息を, 脇一郎右衞門參候て、ほり切さ申候、, 岡又十郎、小早川衆磯兼左近太夫、粟屋、椋梨、二番鑓こて、是も相退候、其時, 塚根彦右衞門と申もの、兩人鑓下にて打死候、少間候て、吉田衆楢崎彈正., 少輔、山縣四郎右衞門、江田宮内、山縣惣右衞門、鑓被仕候、井上平右衞門は、, 堺與三右衞門、江田彌七郎、頸取申候、高の山陳、是へも御加勢候、かいを御, たき、水にて火を消シ、數刻被相戰候、敵引退候處と、山下手負在之を、陳よ, 一同日晩こ、椋梨陳へ又敵上候て取相候、乃美兵部、坂新五左衞門、其外被打, 鑓より先頸討取候、吉川衆一番鑓にて互相退候、香川兵部内仲源右衞門、, 一城と豐後衆成合候てはと、其合戰半と、城へ之道筋ほり切こ人數召れ、森, 三右衞門、山縣宗右衞門、井上平右衞門、其外被遣候、式部少輔、源二郎、兵部, 出候ををしこみ、構きわまて敵仕入候處ニ、元長樣御自身御打出候て被, 追返候、此時吉田衆末永源七郎、財間越前討死候, 翌年四月ヒ、立花へ被成, 〓圓覺書一, 永祿十二年五月十八日, ○老翁物語、毛利, 家日記、異事ナシ、, ○中略、豐前三岳城合戰ノコトニカ, ル、十一年九月四日ノ條二收ム、, (永祿十二年), 立花城兵, ト大友軍, トノ聯絡, ノ遮斷, 五八二

割注

  • ○老翁物語、毛利
  • 家日記、異事ナシ、
  • ○中略、豐前三岳城合戰ノコトニカ
  • ル、十一年九月四日ノ條二收ム、
  • (永祿十二年)

頭注

  • 立花城兵
  • ト大友軍
  • トノ聯絡
  • ノ遮斷

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  • 五八二

注記 (27)

  • 848,726,58,708り付送り、數百人討取候、
  • 1076,730,60,2122にさせ、水を御持さ候て被遣候、元長被思召出候て之儀、此粥をのみ、息を
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