『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.210

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山本又三鑓下ニ而討取と有は、夥敷相違也、或許に、大槻、米田鑓合さた, 大槻助右衞門と澤村才八鑓を合、大槻を討取、大原文藏を米田か家士, 鐵炮ふり廻し打倒したるもはかり難し、大槻倒れても働たると見へ、, 二重堀に御普請被仰付候故、御家中士衆も御普請場と居申候、米田助, りし事紛まなし、才八仕倒しとあれは、才八か鐵炮も中り、又三も鑓下, をくゝり首を取たるなるへしと云々、強に込筒にてもあるましきか、, 右衞門家來山本又三鑓下をくゞり、大槻を薙伏、首を取と云々、又一書、, 右衞門殿は折節忠興君御陳所と居合、早々拵へ被申候、忠興公も御手, 卿の侍大槻助右衞門と申者、紙子羽織を著、眞先懸ケて此方芝手の内, 又三膝を切られし也、, 敵か味方かと存候内に、御側筒の者居直り、鐵炮打懸申候、其内ニ信雄, 迄參り申候、鑓と而たゝき立參候を、助右衞門馳出、鑓を合さ戰し處、助, 敗軍と候、總附こなさるへき間、急き人數出し可申旨、御觸廻申候、其時, 廻計りこ而御陳屋の前と被打出候處、長谷川藤五郎殿小姓頭何之左, 一書、秀吉は家康公の破軍と聞召れ、小牧表ニ召置候諸大名衆え、家康, 牧武次筆記, 天正十二年五月一日, 天正十二年五月一日, 一〇

  • 天正十二年五月一日

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  • 一〇

注記 (19)

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