『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.660

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知〓き物をとそ、工夫ましまし、御小人頭山本土佐、小木原兩人を召、心經, 甲府を御立あり、右乃堺目へ御馬を出され候、扨又北條氏康、氏政父子乃, 州へ馬をいれらるゝは、いかさま北條乃御家を劣かく被存候その事な, 候く、ぬれはよしと仰なり、長坂申上な、さるに付そは、とそ侍大將衆乃内, にて、功者をほかははれ可然と申す、信玄公被仰、あやうお堺目へ、大事乃, 成なり、さありて信玄公御備定ならし、七重にあそはし、同年霜月五日に, 侍大將共をこしてよおにはあらす、水乃多少を見る事は、とれを越くも, ちと足ましきとある儀、心經一卷をもつて、他國のほそた流をほもり被, 談合候て、信玄見ませ合戰にかち、則時に境目の城をせめとる〓きに、甲, 御談合は、信玄公乃評定にちかひ、北條殿父子よたやうにはかり、家老衆, れは、當年ははや當方へ信玄働思ひもよらぬ事なりと、陸奧守を始一門, 者共を差こさるゝ、兩人見そもとり、樣子申上れは、信玄公思案なされ、水, の衆松田、大道寺をはしめ家老各々申に付、堺目北條殿もちの城々へ加, 勢をこめらるゝ、其前見ませ敗軍乃時節、甲州堺乃城共あけ渡へき覺悟, を存知たるかと御尋あり、兩人尤存とると申す、則よませそきゝ給ひ、其, 永祿十二年十二月六日, セザルモ, 北條氏康, 同氏政信, 十一月五, 日甲府ヲ, 玄ハ出陣, ノト推測, 守備, 發ス, 北條氏ノ, 六六〇

頭注

  • セザルモ
  • 北條氏康
  • 同氏政信
  • 十一月五
  • 日甲府ヲ
  • 玄ハ出陣
  • ノト推測
  • 守備
  • 發ス
  • 北條氏ノ

ノンブル

  • 六六〇

注記 (27)

  • 1468,721,71,2121知〓き物をとそ、工夫ましまし、御小人頭山本土佐、小木原兩人を召、心經
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