『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.229

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ケ、東モ深田ナリ、彼堤ト町ノ間ニ、防戰ノ便トシテ門木戸ヲ立ラレケルカ、コノ町ヲ燒, てなしと、直に御意なされ候由、其身も此時の後殿は、一代の内の御奉公の樣と、常, 此方へ討取、此方の衆も四・五騎討死仕候、其翌日御旗本の御合戰始り、火花のこと, レハ返シ戰ントスル武者某體、殿リニテ、家康ト見テ候故、急ニ追候ト云、信玄尤巾, 一人數度取て返し、後殿仕候、此事を大御所樣御意被成候は、日の中に七度の鎗仕候, ト問ルヽ、秋山答ニ、黒鹿毛ナル馬ニ乘、再拜ヲ腰ニサシ、銘ヲ持スシテ、ヤヽモス, 々物語にて候、, 鐵炮を打候時、敵味方より斥候衆參り合、手痛き合戰にて、信長方の能首四つ・五つ, くはけしく御合戰、五・六度迄御乘崩し被成候得共、敵大軍にて候故、御味方利なく、, トテトカメラレス、, 或記ニ曰、味方か原にて大御所樣信玄と御合戰の時、初日には兩方より足輕共矢合!, 濱松へ御引被成候處に、敵御跡をしたひ、三里かほと透間なく附候處に、水野太郎作, 事有しと云たとへを聞召され候、今日太郎作振舞は、七度の鎗といふ共、中々及事に, 濱松ノ城邊ニシモタレト云町アリ、此町ト味方ケ原ノ間ニ七・八町ノ堤アリ、西ノ方ハ力, 又曰、味方ケ原合戰後ニ、信玄秋山ヲ呼テ、今日何故ニ備ヲ亂シテ敵ヲ急ニ追タルヤ, 殿戰, 水野正重ノ, 七度ノ鎗, 元龜三年十二月二十二日, 二二九

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  • 殿戰
  • 水野正重ノ
  • 七度ノ鎗

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二二九

注記 (20)

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