『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.805

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

可被申と申遣し候よし、勝入、庄藏〓新手にて候へは、尤と同し、久太郎備, く〓みにて是場よく、前後野原にて小松少々有之よし、道筋よりは井伊, へ、此合戰には逢不申候、御味方の御人數も、敵方にしまりの備見へ不申, 利を得させられ候故、戰の場を取れ候由及承候、御合戰場は中に通有と、, 太郎三番手にて、秀次の旗本ちかく候に依て、此合戰有由を聞て返し合, 道より御左の方は田、御右の方は路切にため池有、それより御右乃方は, 候故、後軍の愼をわすれ候故、秀次のもろき敗軍に、勝ニ乘追討候處、堀久, に入替申よし、其入替申備を追立て、御備を被進候故に、不戰して一勝の, つる故、御先衆をも被遣候以後、御馬を被出候、御旗本組の御人數此敗軍, 來候に、御味方の人數も戰みたしたる人數を立改〓ならすして、又敗軍, 使を立て、初合戰に討勝候へ共、人數くたひれ備みたれ候、新手に入かへ, いたし候を、久太郎是に利を得て追來候處に、此方にも兼而其御遠慮候, よし、勝入、庄藏、久太郎人數は、間壹里半或は二里計程ツヽ間を隔押行ゆ, 乃處へ御著被遊、堀久太郎此御人數乃驅付を見て押とまり、勝入、庄藏方, て、向處に心をうはゝれ、守を失ひ候故、鑓を不合して、秀次の旗本敗軍仕, 天正十二年四月九日, 援ヲ勝入, 出ヲ見テ, 旗本ノ進, 秀政家康, 長可ニ請, 八〇五

頭注

  • 援ヲ勝入
  • 出ヲ見テ
  • 旗本ノ進
  • 秀政家康
  • 長可ニ請

ノンブル

  • 八〇五

注記 (22)

  • 774,694,64,2145可被申と申遣し候よし、勝入、庄藏〓新手にて候へは、尤と同し、久太郎備
  • 307,704,63,2126く〓みにて是場よく、前後野原にて小松少々有之よし、道筋よりは井伊
  • 1714,704,62,2125へ、此合戰には逢不申候、御味方の御人數も、敵方にしまりの備見へ不申
  • 537,695,66,2158利を得させられ候故、戰の場を取れ候由及承候、御合戰場は中に通有と、
  • 1476,694,64,2141太郎三番手にて、秀次の旗本ちかく候に依て、此合戰有由を聞て返し合
  • 422,695,64,2123道より御左の方は田、御右の方は路切にため池有、それより御右乃方は
  • 1595,687,62,2145候故、後軍の愼をわすれ候故、秀次のもろき敗軍に、勝ニ乘追討候處、堀久
  • 653,701,66,2127に入替申よし、其入替申備を追立て、御備を被進候故に、不戰して一勝の
  • 1124,705,63,2135つる故、御先衆をも被遣候以後、御馬を被出候、御旗本組の御人數此敗軍
  • 1358,693,63,2138來候に、御味方の人數も戰みたしたる人數を立改〓ならすして、又敗軍
  • 890,686,63,2135使を立て、初合戰に討勝候へ共、人數くたひれ備みたれ候、新手に入かへ
  • 1242,703,64,2131いたし候を、久太郎是に利を得て追來候處に、此方にも兼而其御遠慮候
  • 1832,696,61,2133よし、勝入、庄藏、久太郎人數は、間壹里半或は二里計程ツヽ間を隔押行ゆ
  • 1006,695,67,2146乃處へ御著被遊、堀久太郎此御人數乃驅付を見て押とまり、勝入、庄藏方
  • 1948,698,63,2131て、向處に心をうはゝれ、守を失ひ候故、鑓を不合して、秀次の旗本敗軍仕
  • 202,705,42,380天正十二年四月九日
  • 914,266,42,165援ヲ勝入
  • 960,265,39,163出ヲ見テ
  • 1000,263,42,170旗本ノ進
  • 1046,264,41,169秀政家康
  • 871,266,40,169長可ニ請
  • 209,2440,44,118八〇五

類似アイテム