『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.29

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の企を止め、勢を引入へしとの事にて、諸備等は既に山際近くまて引退候所、郡内の小, の合戰を止むるは、其方事日頃に違い、臆したるやと仰られけれは、四郎左衞門承り、私, 付らる、其節鳥居四郎左衞門は、物見として、御籏本より御先手の備へ來り居けるか、, の剛臆には御搆不被成とも、勝負の善惡を御分別有て、軍を可被遊候、是非御一戰との, 仰候に付、三人の者、然らは我等とも儀も御供可仕よし申て、尾州勢を合せ、漸く八千餘, の人數を以て大野と申所に御陳なり、信玄も初の程は、是非一戰との心かけに有之候所、, 次第ともに〓相見候間、今日の御合戰は御止被成可然と申上る、神君御立腹被遊、今日, 思召に候はゝ、堀田の郷へ押行時分を御考有之、御一戰をはしめられ、然るへしと申所, 山田左兵衞か同心上原能登と申もの、しきはいか谷より勝負の見切をいたし、其趣を申述, 尾州より加勢の人數も來り、尚又追々に尾州を立候人數も既に着陣と聞れ候に付、一戰, り、然れは士・足輕一騎も多く召連度候間、各を當城に居られ候事幸故、頼入のよし被, 武田方備立の次第を見て、御籏本へ乘返し、武田大軍にも有之、殊に段々の備立手配の, 候所、一々其理相當るを以て、信玄同心被致、其褒美いに小山田に其日の一番合戰を申, す、籠城とあるは、城將たるものゝ本意にあらすと存る間、押出して一戰を遂候へきな, 元龜三年十二月二十二日, 二九

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二九

注記 (16)

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