『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.23

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とも、必御合戰御無用と申、子細は、信玄衆殊之外大勢段々に備へ、濱松衆は山の際に只, 見て、腰のぬけたるやと御腹立被成候而、目の前の敵をおめ〳〵と通しては、口惜と被仰, る、四郎左衞門申は、御用にも立候而、目もきゝ申故に、勝負を見定申候、御負候共、, 御かゝり候はゝ、そなたの御まゝ也、勝負さへしらぬ人をこそ臆病とは申せとて、腹立, 戰は成かたし、若御合戰あらは、跡よりほつたの郷へ敵の押行たる時分、段々に備へて、, 盆也、子細は他國へ來りて大敵との勝負大事也、すくに刑部を押へしと評定の處に、濱松, 衆押出して對陣す、日既にくれなんとす、濱松衆いさみ、是非共合戰を初めんと申、家, 罷立ける、其合戰前に成瀬藤藏と口論致し候けるか、藤藏を尋候へは、藤藏高名致し、, 一かはにて、中〳〵あやうく御座候、早々先手へ使を遣し、人數を引上させ給へ、御合, 召て、大事の御使に被遣候に、それ程臆病にては、何のやくに立可申候、甲州衆の大勢を, 討死と聞、則四郎左衞門も乘込て、はれ成討死仕候、藤藏は四郎左衞門を尋、四郎左衞, 御合戰可然、只今被成候はゝ、御負と申、家康聞召、鳥居を日比御用にも立可申者と思, 康鳥居四郎左衞門を召し、物見に越給ふ、鳥居歸て申けるは、人々いかにいさみかゝらん, 家康へは、信長より平手・水野・林・佐久間四頭加勢に來ル由、信玄聞て、扨は軍は無, 元龜三年十二月二十二日, 不可ヲ説ク, トノ説, 康ニ合戰ノ, 援兵ヲ出ス, 鳥居忠廣家, 信長四頭ノ, 家康聽カズ, 忠廣討死ス, 元龜三年十二月二十二日, 二三

頭注

  • 不可ヲ説ク
  • トノ説
  • 康ニ合戰ノ
  • 援兵ヲ出ス
  • 鳥居忠廣家
  • 信長四頭ノ
  • 家康聽カズ
  • 忠廣討死ス

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二三

注記 (25)

  • 1294,667,64,2237とも、必御合戰御無用と申、子細は、信玄衆殊之外大勢段々に備へ、濱松衆は山の際に只
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