『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.235

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大刀をはなけすて、豐後に押並へてくまむと懸處を、豐後すおをあらさす, かうと思、大音あけて、天下無雙の名將大内左京權大夫を打取て、御所の御, る、豐後よお敵と悦て、散々に戰をるか、前に進草山を切て落しきれは、入澤, 入、向ふ敵六七人切て落し、大力の剛の者の、命を惜す、大長刀打振てかゝり, 大内今はかくそと云儘に、大勢乃中に懸入て、尾張守に目を懸て切てまは, 入澤、同草山二人は、一足も不退、豐後を打取むと、太刀のきさおを並てかゝ, きれは、嵐に木乃葉の散樣に、二百餘騎二町はらり引退く、されとも山名の, るは、御内の者五六千騎も候はんに、今はたゝ一人御前にて打死仕らむ事、, かさん、大將乃打死乃所にて我も打死さむとて、北の陣の大勢の中にわて, て攻戰ぬ處に、大内さすか深手あまた負ひ、一日の戰に力も盡ぬれは、今は, て戰きり、尾張守是をみて、とく討取とを下知しける、民部〓をなかし申を, 冥土の訴へ、契乃ほとこそう〓しきれとのゝしりて、終に打死したりけり、, お風情は、樊噌、張良も爭か是にはまつるへきとそ見へきる、又尾張守馳合, 目にかけよとて、遂に尾〓□□合て打死す、やかて尾張守頸をとる、豐後入, 〕□〓□方を固て合戰しけるか、大内打死すと聞て、今は爰にて戰て何に, 應永六年十二月二十一日, (道南の〕, 毛利民部, 義弘戰死, 南ノ陣, 丞戰死, 應永六年十二月二十一日, 二三五

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  • 毛利民部
  • 義弘戰死
  • 南ノ陣
  • 丞戰死

  • 應永六年十二月二十一日

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  • 二三五

注記 (23)

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