『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.232

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あはてらはききるに、陸より周瑜か兵懸て、曹操か軍を破をんも、かくやと, に向ふ敵を悦て切てまはりをおか、さすか手あまた負ひ、今はかうと思は, る曹操か陣に懸て、船中の柴燒をる火、陣に飛散て、人馬多く燒けれぬ、軍兵, りて、中國に御歸ありて、時を待て本意を御遂あるへしと云きれぬ、我由な, して、宗との者あまた打死し候ぬ、合戰難儀に及ぬ、夜に入て、舟にて御落あ, 大音揚て、大内乃左京權大夫入道か内に、杉備中守とて、一人の當千の兵そ, や、我と思はむ者は打取て高名さよとて、大勢の中に破て入る、三十餘騎わ, たりあひ、備中を取籠責戰ふ、備中敵五人に手負を、や庭に三人打取て打死, き物にすゝめら〓、此事を思立、運の盡ぬる上は、何にか遁べき、のる壹めし, に戰て、十餘人打取、今日を前途の合戰なれは、竪さま横さま、くもて十文字, より約束の事なれは、京兆入道打死の後、豐後守は可打死、のらんに取ては, 我は一番に討死さむとて、北陣に有きる山名民部少輔り手に押懸て、散々, あり、楚項羽四十万騎の軍兵を領し、力拔山氣蓋世程の威勢也けるか、漢高, そ見へたりきお。爰に杉備中入道、今日は定て京兆打死さられんすらむ、本, す、富田の尾張守。備中打死したりと聞て、大内に馳寄を申けお、備中を始と, 義弘聽力, 陶弘長義, 杉重明戰, ヲ勸ノ, 北ノ陣, 弘ニ遁〓, 少輔, 山名民部, 死, ズ, 應永六年十二月二十一日, 二三二

頭注

  • 義弘聽力
  • 陶弘長義
  • 杉重明戰
  • ヲ勸ノ
  • 北ノ陣
  • 弘ニ遁〓
  • 少輔
  • 山名民部

  • 應永六年十二月二十一日

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  • 二三二

注記 (27)

  • 1780,644,63,2196あはてらはききるに、陸より周瑜か兵懸て、曹操か軍を破をんも、かくやと
  • 1200,651,63,2188に向ふ敵を悦て切てまはりをおか、さすか手あまた負ひ、今はかうと思は
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