『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.219

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侍に、外池信濃守とて、生年十八歳に成ける若武者あり、先年此地にて父討死しけ, 力舟を放けれは、竹村與一郎・岡崎宗吉も是時討死しけるとなり、去程に信長公先, りとて皆人感しける、又蒲生郎等に、杉山少之進と云大力の剛の者あり、川へ飛入, る由、兼々聞傳、今度の軍に、何者にてもあれ、一人討取て父の孝養に報せんと志, し、走廻しに、黒皮威の鎧著たる武者にはたと逢たり、外池悦て、天の幸也とて打, て敵の乘ける舟に取付、引留むとて引けれは、敵も追拂とて、太刀長刀を以て甲の, 舟に取乘て、敵二人討取て首ひつさけ、舟よりおりけれは、杉山無念に思、猶も舟, り、誠に外池も父の仇を報るの志しは同し、孝子道と云も、勇者道と云も、義士な, 懸り、遂に首取て本望を達しけると也、昔伍子胥は、父の仇を報せんとて、楚國の, たの岸へ引寄ける處を、布施次郎右衞門と云者、是を見てつゝいて川へ飛入、其儘, 鉢を打破とて打けれとも、且て事ともせす、曳や〳〵と引、川の上半町はかりこな, を越しも、名こそはかはれ、軍功は同しかるへしとて、皆人々感しける、又蒲生か, を不放、こなたへつよく引けれは、其内に杉山か右肘を鐵炮にて打ぬきけれは、無, 都へ打入て、平王の墓を掘て死骸を取出し、鞭にて三百まて打て父の仇を報すと云, 天正二年七月十二日, 二一九

  • 天正二年七月十二日

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  • 二一九

注記 (16)

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  • 397,719,59,2059力舟を放けれは、竹村與一郎・岡崎宗吉も是時討死しけるとなり、去程に信長公先
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