『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.34

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へ、其外取出をこしらへ、都合十八ヶ所岩村秋山伯耆守をさへの爲に申付らるゝ、子, 一、天正二年甲戌二月中旬に、勝頼公五ケ國の人數をもよほし、信長方へ御はたらきな, 勢に伯耆守付らるゝ時、遠山の郡代は秋山伯耆守也、此伯耆守は則居城美濃侍岩村, され候、信玄公御代に、東美濃岩村きりが城をせめおとし、城代に秋山伯耆守、信, 川家康ノ將小笠原長忠ヲ遠江高天神城二圍ムニヨリ、信長、赴援セントスルコト、, 先方の侍衆小城をかまへたる人々へ、信長衆を十騎十五騎ばかりづゝ警固にさしそ, 殿の後家を妻女に仕候、後家は織田彈正忠妹、信長のため伯母なるゆへ、内々種々, 信長より伯耆守方へ無事を作申され候へ共、伯耆守少も合戰なき故、信長より美濃, 細は其比は美濃の岐阜信長の居城なる故、用心のために多の城を取立られ候、然ど, 州先方には座光寺を始三頭、都合秋山伯耆共に四頭二百五十騎あまり、右の城御番, ○武田信玄、美濃岩村城ヲ降スコト、元龜三年十一月十四日ノ條ニ、同勝頼、徳, 〔參考〕, 本年五月十二日ノ條ニ見ユ、, 〔甲陽軍鑑〕十九, 陷レ秋山信, 信長ノ叔母, 濃岩村城ヲ, 友ヲシテコ, 武田信玄美, 信友ノ妻ハ, 誘二應ゼブ, 信友信長ノ, レヲ守ラシ, 信長付城ヲ, 築ク, 天正二年二月五日, 三四

頭注

  • 陷レ秋山信
  • 信長ノ叔母
  • 濃岩村城ヲ
  • 友ヲシテコ
  • 武田信玄美
  • 信友ノ妻ハ
  • 誘二應ゼブ
  • 信友信長ノ
  • レヲ守ラシ
  • 信長付城ヲ
  • 築ク

  • 天正二年二月五日

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  • 三四

注記 (27)

  • 317,705,73,2147へ、其外取出をこしらへ、都合十八ヶ所岩村秋山伯耆守をさへの爲に申付らるゝ、子
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