『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.340

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又、東美濃岩村ノ城主遠山内匠助死去セラル、是ハ信長公御姑聟ナルガ故ニ、八番目, 山とふうふに被成、御房樣をかいの國へやり給ふ、其歸りに勝頼は、あすけのくちへ御, 番にかはり宿を仕り候、以上、, 伊奈秋山伯耆内方に、織田掃部肝煎をもつて祝言あり、但是は、信長そこゐは存ぜら, 御坊樣を樣子被成けるが、信長へべつしんをして、勝頼と一身して、秋山を引入而、秋, れ、うはげはしらざるやうなれ共、此方家老衆・各出頭衆内々申上、信玄公御存知也、, はたらき有と申せば、上樣はあすけへ御陣立有、然共勝頼は其寄引入給ふ、信長は御は, 長とは御無事の樣なり、御坊のめのとに、五十君久助と申者きたる、宿は春芳・珪琳、, 其後織田掃部信長子息御坊を、甲府へ同道仕り、信玄公へ進上申候、此人質故、先信, ら立而、岩むろへ押寄給ひて、城を責おとし給ひ、秋山おばいけ取給ひて、はり付にか, け給ふ、, 〔總見記〕十二武田信玄謀叛事、付、味方原合戰事、, ノ御曹司御坊丸ヲ養子トシテ、五十君久助ト云者一人、乳母人ト成テ居タリケリ、然ル處, 〔甲陽軍鑑〕十二一、, 酉の二月下旬に、信長伯母子美濃國岩村殿後家を、信州, 〔甲陽軍鑑〕十二一、〓中酉の二月下旬に、信長伯母子美濃國岩村殿後家を、信州, ○中, ○中, 下略, 略, 略, ○上, 河足助ヲ攻, 武田勝頼三, 元龜三年十一月十四日, 三四〇

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  • ○中
  • 下略
  • ○上

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  • 河足助ヲ攻
  • 武田勝頼三

  • 元龜三年十一月十四日

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  • 三四〇

注記 (26)

  • 397,723,61,2166又、東美濃岩村ノ城主遠山内匠助死去セラル、是ハ信長公御姑聟ナルガ故ニ、八番目
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