『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.269

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仕セず、再三召されければ、櫓へ來る、家康公の給ひけるは、敵城を責むべきか、引取る, は、家康公其故を問ひ給ふに、孫大夫かさねて申上けるは、敵行列をなして、大軍の跡に, 三日、櫓に登り給ひ、富永孫大夫を呼ひ給ふ、此時孫大夫眼を痛、陣屋に臥しけるゆへ出, 小荷駄つゞかずして、敵陣に煙見へず、是戰を思わざるゆへなりと御答へ申上けるが、果, し、其急難を救はんと申合候所に、家康は數度に及び、信長が勞軍を加勢して救ひたりし, は、平手監物汎秀が首取て首桶に入れ、其姓名を書記し、使者を差添へて織田信長へ遣は, に、信長は只今まで家康に加勢セず、然る所今度たまさかに援兵を乞はるゝに、いかでか, めければ、信玄げにもと思はれけん、高坂が諫めに付、歸陣には極りけり、家康公は、廿, べきかと聞給へば、孫大夫しはらく敵陣を見て在けるが、信玄城は攻め申まじと申上けれ, 事、其心を察しかたく、信玄が誤りは何事ぞや、是より以後は信長と長く義絶候と、にが, して明廿四日、信玄軍士を引揚け、刑部に陳を張り、此所にて超歳しけり、去程に信玄, 〳〵敷申遣はす、信長の方より織田掃部を使者として刑部へ遣し、今後の加勢遣はす事、, して申けるは、信長と信玄とは、日頃和睦いたす所、其約を變セられ、徳河家へ合兵の, 全く信玄に敵對して意趣を思ふに候はず、家康と信長とは隣國なるゆへ、互に加勢を遣, 加勢セば、何ぞ敵對叶ふべき、唯速かに歸陳あり、重ねて手遣ひ有へしと、理を攻めて〓, 信玄ノ撤兵, 富永孫大夫, ヲ豫見ス, 元龜三年十二月二十二日, 二六九

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  • 信玄ノ撤兵
  • 富永孫大夫
  • ヲ豫見ス

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二六九

注記 (20)

  • 1485,617,70,2291仕セず、再三召されければ、櫓へ來る、家康公の給ひけるは、敵城を責むべきか、引取る
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