『大日本史料』 10編 15 天正元年4月 p.328

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は切所をかまへ、對陣を永はり候はゝ、あなたは大軍遠き陣ならば、五畿内、近江・伊勢, 人數草臥、無理なる働仕る時分、一しほつけ候はゞ、立なをす事有ましく候、家康は信, さへいへば、首尾違間敷候、信玄おとなげなく輝虎を頼と云事申さず候故、終に無事に, より信玄を殺給ふ、其しるしには輝虎三年の間に病死仕へく候、信玄次には輝虎より外, なる事なし、必勝頼謙信を執して頼むと申へく候、左樣に申不苦謙信なり、次に信長と, 玄死したると聞候はゝ、駿河まても働申べく候間、駿河國中へ入たて討取申へく候、小, 信はたけき武士なれば、四郎わかき者にこめみする事有間敷候、其上申合てより、頼と, 信長を踏つくる者有間布候と被仰、次に勝頼ワ箭の取やう、輝虎と無事を仕り候へ、謙, 田原をは無理にかゝつて押つぶし候とも、手間は取ましく候、氏政定て信玄死したると, 信長・家康兩人かゝりても、信玄には更になりがたき故、天道果報をひきし給へば、天, 聞候はゝ、人質をもすて、ふりを可仕候間、其心得候へと、各御一家衆・侍大將衆へ被, はゝ、我等と逍遙軒と見わくる者有まじく候、累年見るに、信玄か面を各をはじめしか, 仰渡、舍弟逍遙軒今夜甲府へ使に行と申、心安小者四人連出ふりにて、物共をは土屋右, 衞門尉所に預け、此曉かごこしに逍遙軒をのせ、信玄公御煩付て甲府へ御歸陣也と申候, 續), ノ死ヲ聞カ, 對スル心得, 氏政ハ信玄, バ背クベシ, 和スベシ, 上杉謙信ト, 信長家康ニ, 信綱ヲ信玄, スベシ, ニ擬シ歸陣, 天正元年四月十二日, 三二八

割注

  • 續)

頭注

  • ノ死ヲ聞カ
  • 對スル心得
  • 氏政ハ信玄
  • バ背クベシ
  • 和スベシ
  • 上杉謙信ト
  • 信長家康ニ
  • 信綱ヲ信玄
  • スベシ
  • ニ擬シ歸陣

  • 天正元年四月十二日

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  • 三二八

注記 (27)

  • 999,814,66,2139は切所をかまへ、對陣を永はり候はゝ、あなたは大軍遠き陣ならば、五畿内、近江・伊勢
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