『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.764

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ヲ被仰付候、石動山ニもぞうひやう壹万人許と相見へ申候、ぬくい、三宅, 申との内談ニ而御座候、はんにやいんは、荒山へ取出ヲ仕可申ため早々, 大納言樣ゟ信長樣へ言上有之候へは、越前、加賀、能登、越中、四ケ國之人數, は、井田原、三ほうかたけ、三ツ尾口ニて御座候、ほとなく城かくを三まき, ニ付出ニ拵置れ候古城ニ而御座候、石動山之大將は、はんにやいん、ほう, 被指出候、あら山と申は、古し名は麻か嵩と申山ニ而御座候、兼信之御代, くわん坊、万藏いん、これ三人、ぬくい殿、二宅殿〆五人、ぞうひやう五百人, 々被打申候、乍去はんにやいんの手柄は、能武者十騎之餘程打申候、そう, なく候ゆへ、はんにやいんじかい申候、てきかたへ向て、せんたいては武, 庵殿のかゝりは、ほこか池、ゑほしか石口にて御座候、佐久間玄蕃殿懸り, ひやうは七十人之餘ほと切捨申ときこへ候、さるの頭こみかた壹人も, まきせめ申候、其日の辰ノ刻ゟ初、未ノ下刻迄たゝかい被申所こ、城中皆, 三百人程御座候、此外越後より、淨定と申いつきの大將、八千人ニ而加可, 許にて、荒山ニ取込候所ニ、越前加賀兩國ノ加人數よせ被申候、其内長如, 藏坊辨慶、今石動山ニ鬼はんにやいんニ而御座候、てからのほとはのち, 天正十年・六月二十六日, 付出, 石動山ノ, 大將, 般若院某, ノ奮鬪, 天正十年・六月二十六日, 七六四

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  • 付出
  • 石動山ノ
  • 大將
  • 般若院某
  • ノ奮鬪

  • 天正十年・六月二十六日

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  • 七六四

注記 (23)

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