『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.495

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

感状を賜る、, 附被成、松井家こ被遣、彼家來となる、, 慶長五年十一月忠興御判, 小八郎も助右衞門方こ來り、後に二百石被下候、子の代と至、寄之と御, 門ゟ眞鍋甚六と申者を以、梶之助家内を引受候事共、具に申越候と付、, 一書、澤井小八郎重包、關ケ原之役從軍し、於會津表力戰し、忠興公の御, 助右衞門一言の契約もたしかたく、眞下か妻子弟四人を育み置、男子, 伽佐郡於豐村百石令加増畢、彌可抽軍忠者也、, き蒐來り、米田と鑓を合討死と云々、, こ使者に罷越、於京都丹後騷動の樣子聞付、早速罷下候途中と、助右衞, 今度於會津表一戰之砌、玉川權六打取、無比類働、誠以神妙也、仍丹州, 七之助を御家人となし、三百石被下、後七兵衞と云、其子孫今の眞下喜, 角也、元重り姉は、忠興君の妾と成ル、式部寄之は此腹也, 澤井小八郎殿, 梶之助弟澤村小八郎重包は、義有の親類京都武者小路殿, 二嫁す、五百, 岡勘解由延之, 石被添遣候, 名ハさい、後長, 天正十年九月八日, 四九五

割注

  • 二嫁す、五百
  • 岡勘解由延之
  • 石被添遣候
  • 名ハさい、後長

  • 天正十年九月八日

ノンブル

  • 四九五

注記 (21)

  • 764,770,56,359感状を賜る、
  • 990,771,63,1094附被成、松井家こ被遣、彼家來となる、
  • 395,1056,67,1209慶長五年十一月忠興御判
  • 1094,777,75,2080小八郎も助右衞門方こ來り、後に二百石被下候、子の代と至、寄之と御
  • 1211,774,74,2091門ゟ眞鍋甚六と申者を以、梶之助家内を引受候事共、具に申越候と付、
  • 861,791,76,2059一書、澤井小八郎重包、關ケ原之役從軍し、於會津表力戰し、忠興公の御
  • 1797,781,75,2073助右衞門一言の契約もたしかたく、眞下か妻子弟四人を育み置、男子
  • 521,845,67,1362伽佐郡於豐村百石令加増畢、彌可抽軍忠者也、
  • 1925,791,62,1074き蒐來り、米田と鑓を合討死と云々、
  • 1326,788,77,2066こ使者に罷越、於京都丹後騷動の樣子聞付、早速罷下候途中と、助右衞
  • 632,844,75,2005今度於會津表一戰之砌、玉川權六打取、無比類働、誠以神妙也、仍丹州
  • 1679,780,75,2079七之助を御家人となし、三百石被下、後七兵衞と云、其子孫今の眞下喜
  • 1564,774,72,1653角也、元重り姉は、忠興君の妾と成ル、式部寄之は此腹也
  • 279,1128,58,413澤井小八郎殿
  • 1445,1130,74,1727梶之助弟澤村小八郎重包は、義有の親類京都武者小路殿
  • 1494,787,41,320二嫁す、五百
  • 1548,2450,42,401岡勘解由延之
  • 1448,780,42,332石被添遣候
  • 1594,2451,38,402名ハさい、後長
  • 184,693,46,345天正十年九月八日
  • 169,2430,44,124四九五

類似アイテム