『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.604

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被下、書に曰、, 加藤虎之助殿, 三百石、片桐助作五百石と御受申上、さても〳〵虎之助事、鳥取の城攻よ, 五百石、加藤孫六五百石、平野權平五百石、脇坂甚内三百石、糟屋助右衞門, わつらん、七人共に一同に三千石の加増をすへしと被仰出、則御感状を, 七人の内虎之助は、戸岐をうちとわし事、一稜すく〓て被遊たる御感状, 候事、無比類働、感覺候、仍爲加増三千石遣候、猶可盡忠戰之條如件、, 理亮、瀧川左近將監と被仰合儀必定也、依之濃州大柿之城令在滯、可攻, 天正十一年五月十一日秀吉御判, を頂戴し、諸人にみまさわて威雄有、さて翌日七人ともに被召出、物頭に, りこのかた、をもきらさるものに、小分の領知を遣置事、さそや無念にあ, 崩岐阜之城之處、柴田先勢柳瀬表致出張候旨告來候條、不移時日走歸, 柳瀬、決勝負刻、秀吉於眼前一番鑓を合、戸波隼人を討取、北國勢及敗軍, 今度信孝對秀吉及鉾楯、雖爲信長公御連枝、可誅果事在手裏、殊柴田修, 被仰付、虎之助には鐵炮百五十挺、與力二十人御預被成、いつれも名をあ, 天正十一年六月五日, 賜五月十, 清正ノ賞, 一日説, 六〇四

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  • 賜五月十
  • 清正ノ賞
  • 一日説

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  • 六〇四

注記 (20)

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