『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.27

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被仰付、城内え參了、, 高石垣ノ外ニハ、其夜藤堂和泉守、井伊掃部頭兩人備ヘテ有シニ、翌ル朝外, りしなり、すみやかに謝ししくまつれとありけれは、重長やか〓台恩乃辱, きを拜す、これにより重成死を免かれく、もとのことくにつかへたくまり, すゝみ、若き子とも乃高名はけにそとの御諚、これ重成か罪を御ゆるしあ, 候由家康樣被聞召、御生害可進旨、高虎に被仰付、此時高虎辭、仍井伊直孝ニ, 法を背き魁せしにより、死をたたは多へきに定よ、ある日重長を台徳院殿, 乃御前にめけれ、若き子ともの高名を勵ますはさこそあるるし、汝老年に, をよひての軍功は無用の事なりと仰ありしかは、板倉周防守重宗、御前に, 左衞門政次とおなしく城内に赴く、この役に、二男永見新右衞門重成、御軍, とき、井伊掃部頭直孝、安藤對馬守重信イしたかひ、渡邊圖書助宗綱、石川八, る、, 〔山本日記〕秀頼公、御母公、大野修理其外名有者共、老若男女高下五六十人, 〔藤堂家譜〕大坂落城五月八日の朝、秀頼卿御存生ニ〓、山里丸糒藏に御座, 五月八日、秀頼生害乃, 今村重長, [寛政重修諸家譜, 兵衞、産兵衞、, 桁之助、九郎, 八百四, 十, 藤堂高虎, ノ命ヲ辭, 秀頼殺害, 藤堂高虎, 井伊直孝, 秀頼ヲ監, 今村重長, ス, 元和元年五月八日, 二七

割注

  • 兵衞、産兵衞、
  • 桁之助、九郎
  • 八百四

頭注

  • 藤堂高虎
  • ノ命ヲ辭
  • 秀頼殺害
  • 井伊直孝
  • 秀頼ヲ監
  • 今村重長

  • 元和元年五月八日

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  • 二七

注記 (31)

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