『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.335

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疵一箇所もつうむらず、からめて出られけり、とりこもるものは、秀吉公足, てそだてしらんには、武士のさほうもしりがたし、たゝ〳〵秀吉公を頼み, め可申と申されければ、おとなしく申たるものかなと、藤吉殿へ、こま〳〵, つね〳〵傳受の兵法は、此時なりと思ひ、かの町人所へはしりゆけば、四方, おとし申さんとて、則男になし、加藤虎之助と名づけ、初て百七十石の領知, と御かたりあれば、藤吉殿、一入機嫌よろしくまし〳〵、内々かのものがま, 奉らんと分別し、虎之助をめしつれ、長濱に到て著し、秀吉公母公へ委細申, を以て成人仕、歳き十五といへ共、せいもたかし、前髮おとし、奉公をもつと, をたまはり、奉公の身と成る、秀吉殿内に、塚原小才次といふ兵法者あり、ト, をあやまり、とりこもるものあり、中々町中さはがし、虎之助右の樣子聞付、, 傳遠類の武士也、かれにしたかひ兵法執行す、あるとき、長濱の町人所へ、人, 入られければ、母公殊の外馳走まし〳〵、兩人ともに藤吉殿御めにかけ、母, なこさしを見るに、よく祖父清信に似つるものかなと存候よし、まゑかみ, に人みち〳〵たり、大勢の中をくヾり入、狼藉人を打たをし、つなをかけ、手, 公のそはにて養育也、虎之助十五歳のとき、母公へ申上られけるは、我御影, 原小才次, ニ學ブ, 兵法ヲ塚, 秀吉ノ母, 元服, ノ許二養, ハル, 慶長十六年六月二十四日, 三三五

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  • 原小才次
  • ニ學ブ
  • 兵法ヲ塚
  • 秀吉ノ母
  • 元服
  • ノ許二養
  • ハル

  • 慶長十六年六月二十四日

ノンブル

  • 三三五

注記 (24)

  • 256,619,65,2215疵一箇所もつうむらず、からめて出られけり、とりこもるものは、秀吉公足
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