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御定にて、田尻荒兵衞殿、谷口宮内左衞門との、其外六人合八人御遣被成、城, は相籠防戰事數日也、然といへ共、次第〳〵に城弱り、敵の射る矢には拔く, ゝり、童や女に當おほと手詰になつて、田尻殿我々え被仰は、今早卷つめの, 卯月十六日, 有へけれとも、遠と云、又不案内の事にて、疑敷被思召間、少々被遣〓きとの, 戰ける事數日なり、然とも田尻との無勢故不得勝利、已に籠城におよふ故、, 城に成、可開運樣更になし、御奉公とは有なから、此中より各籠城の究屈、手, 此等之段田尻殿より、以使者太守樣え被申入、依之御評議有けるは、最加勢, 帖佐彦左衞門尉殿, 前迷惑の至りなり、軈て下城可有に極たり、然者各御國元え歸宅可申由、強, 天正十一年四月廿日、筑後國田尻城こ而相屆拜仰候、, 歳壬午の比、田尻とのを鍋嶋旗下になす〓きか爲、軍兵を卒雖攻不相隨、防, 天正十, 而被仰に依て、六人は歸國被仕候、然處に荒兵衞とのと共と申は、我々此城, 〔帖佐彦左衞門書上〕, 卯月十六日忠平御花押, 天正十一年四月十六日, 天正十一年, 帖佐彦左衞門殿忠平, 忠平御花押, 帖佐彦左衞門殿, ○上略、龍造寺隆信、戰死ノコトニカ, ル、十二年三月二十四日ノ條ニ收ム, ○日, ○, 向, 義久ノ援, 田尻ニ送, ニ及プ, ノ援兵ヲ, 田尻鑑種, 兵ヲシテ, 籠城難儀, 義久多少, 歸國セシ, 一八
割注
- ○上略、龍造寺隆信、戰死ノコトニカ
- ル、十二年三月二十四日ノ條ニ收ム
- ○日
- ○
- 向
頭注
- 義久ノ援
- 田尻ニ送
- ニ及プ
- ノ援兵ヲ
- 田尻鑑種
- 兵ヲシテ
- 籠城難儀
- 義久多少
- 歸國セシ
ノンブル
- 一八
注記 (36)
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