『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.149

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何れ之御門なり共御預家候へ、隨分防き戰んとて、出けりけわ、, 公なららる身と成ぬ、是に因て地下人になし、豆腐屋になれよとて、大豆百, 其らたありし者にて、家來も忝存さしか、果して兩人追腹さしまり、, 俵年給し侍き、來世にてもとうぬを上奉らんと、しとけなけに云つゝ切腹, 守不孝之罪を聊謝をんため、何との櫓なり共請取奉らんと、堅固に申つゝ, に在し也)、今世武名且香しき龜田大隅守父これなり、勝家も、爾は予の臣に, り、勝家も急き賀州に至て、城を守まよと云れし時、君を見すて父を見捨、命, 五番玄久、是は古しへ匠作になれむつひたる者にて有しか、痛手をおひ、奉, を全さし者よと、諸人の舌頭にかゝりなは、松平之二字を汚し侍らんまゝ、, おひ侍りし故、昨夜退來たりしか、父甚五兵衞籠城たりしによりこもりけ, 四番溝口半左衞門尉、是は養子伊賀守北庄之田屋守にし侍し故、常に當庄, 三番松平市左衞門尉は玄番允につかへ、志津嵩城にてよた高名をし、手を, も非す、急き出て命を全ふせよと有し時、いや左にはおはしまさす候、伊賀, 或曰、松浦つ〓はあらましき者にて有しか、情を掛んと思ふ者には清く, 果了、, 衞門尉, 溝口半左, 衞門尉, 松平市左, 衞, 同甚五兵, 玄久, 天正十一年四月二十一日, 一四九

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  • 衞門尉
  • 溝口半左
  • 松平市左
  • 同甚五兵
  • 玄久

  • 天正十一年四月二十一日

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  • 一四九

注記 (24)

  • 1217,621,61,1865何れ之御門なり共御預家候へ、隨分防き戰んとて、出けりけわ、
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