『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.306

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左衞門殿を〓に秀吉公ゟ御越候て、これより無事になり、利家卿、秀吉公, のき度もの共は早々のき申候へと被仰候、其内ニ信長公ノ御時ゟ堀久, は昔ゟ秀吉公別而御知音ゆへ、又左殿ノ息女を養子こ被成、今度西國に, 郎殿門外まて御出候處こ、てつほうにてうお候へと利家公被仰候へは、, へ御附被成候由に候、北之庄の御人質の左右を御待候へは、後に使來て, 久太郎、さりとては御あつかいニまいり申候、我等ヲてつほうこ御打候, 太郎殿利家公共御はからい故、其人先手にて候、秀吉公ゟ之御使ニ、久太, 其時ゟ矢とめニ成申候、扨久太郎殿門きわまて御越候て、御使こは、又左, 返し被申候、其時の證人加賀樣にて御座候、御供は、あちやこ、後には少將, 中まて御人數ヲ御よせ候て、扨利家無是非候、此城我等はか所ニ候間、立, はゝ、利家跡ノ御手柄之おほへもすたり可申候と、高々と被申候旨ニ候、, てうき田之八郎殿を秀吉公ノむこニ被成、其ゆへ西國大形おさまり、如, 殿に成被申候事、, 〔村井重頼覺書〕一柴田殿ははい軍、北庄へ御のき候、其時と秀吉公越前府, 〔利家夜話〕上一其後太閤樣府中の城へ鐵炮打、城内ゟも打出す、扨堀三、, 利家戰死, ヲ決シ部, 去就ヲ決, 多秀家ニ, 利家ノ女, 下ヲシテ, 和ヲ幹旋, 摩阿勝家, ヒテ宇喜, ノ女ヲ養, 秀吉利家, 堀秀政, ニ質タリ, セシム, 配ス, 天正十一年四月二十二日, 三〇六

頭注

  • 利家戰死
  • ヲ決シ部
  • 去就ヲ決
  • 多秀家ニ
  • 利家ノ女
  • 下ヲシテ
  • 和ヲ幹旋
  • 摩阿勝家
  • ヒテ宇喜
  • ノ女ヲ養
  • 秀吉利家
  • 堀秀政
  • ニ質タリ
  • セシム
  • 配ス

  • 天正十一年四月二十二日

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  • 三〇六

注記 (32)

  • 1702,673,64,2134左衞門殿を〓に秀吉公ゟ御越候て、これより無事になり、利家卿、秀吉公
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