『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.621

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觸たれは、家康公の御威勢甚したれは、諸國の大名皆々家康公之御味方に, 屬す、去共諸國之大名此身ハ東國方ニ付たれ共、家臣之内ニも名有ものを, 不及、仙北ゟ木曾路へ懸り、上方へ登りたり、秀頼公御感有、則利直公は家康, 返し、熟〳〵と思ふに、山に見違砂金を振捨行んも口惜し、又此金大切と思, 分忠を盡申へしと宣て、御馬百疋鉛とう藥其外武具少々被遣、黄金ハ申ニ, 飛脚ニ〓、北氏方へ右之通を被仰遣たれは、北氏聞て、畏て候とて、御飛脚を, 左衞門は盛岡指て急きたり、盛岡ニ來りにれは、利直公宣たる樣は、今度上, 方之一亂に依〓、汝を上方へ遣なり、隨分身を忍ひ影を隱し、大坂え登り、隨, ふて、此方に止も不忠なりと思ふて、右之金を穴へ埋めて塚に築、上に柳を, 利家公之御返事に、東國方威勢強候間、一旦家康公へ付玉へとの御返事な, ニ〓、秀頼公諸客人を集て亂逆を企て玉ふ、江府ニ〓ハ、家康公諸國へ軍勢, れは、利直公も實ニもと思召、江戸方へ御登被成候御志なり、其時鹿角へ御, 植て、其處にて人足共あ他言すへきを惜て、一々百人計是を成敗す、夫ゟ十, 餘多大坂へ遣したる、利直公も、加賀利家公へ御使者を以御相談有にるに, 盛岡へ内通すれは利直公も御悦不斜、然る處に慶長十九年の秋の頃、上方, 衞門ヲ大, 利直十左, 坂ニ遣ス, 元和元年是秋, 六二一

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  • 衞門ヲ大
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  • 元和元年是秋

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  • 六二一

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