『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.987

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いたすへきむね兩度の使これありといへとも、利定應せす候、然るとこ, の褒美として、熨斗附大小、ならひに同心銕炮のものまてに、銀子賜はり, に向ひ、銕炮を打はたらける處に、毛利方より柳澤又三郎といふもの、三, ほしめされ候, かり、利定か近所に立置候ゆへ、秀吉公、孫平次かはたらきと見給ひ、當座, 首を討取申候、信長公、秀吉公に命し、播磨國高倉の城を攻給ふとき、利定, ちけるに、甲に當り浮張に留る、其後敵かけ來りけるを、太刀にて其敵の, 南條掛り來るを、是も銕炮にて打たをし、其間の堺を利定取かため申す, 處に、敵兵大將討死したれは、早々人數引取候、その刻、中村孫平次馬驗は, 候、翌日利定か働きのよし秀吉公きゝたまひ、祖父江仙千代、一柳市助兩, 伊賀甲賀の同心銕炮百人、蜂須賀又十郎明キ組伊賀の者百人、根來十人, 使を以、昨日のはたらき、唯今聞屆け候、同心手負死人のもの書記し、持參, 自分銕炮七十挺、都合二百八十挺召連れ、秀吉公にあひしたかひ、高倉城, 千人にてかけ來りけるを、利定自身銕炮にて打倒し、二番にまた伯耆の, 敵と銕炮にて相ために仕るところに、また敵傍より銕炮にて利定をう, 大坂城御攻のときは、樓岸におゐて、, 慶長十五年二月十三日, ○寛政重修諸家譜此, 間ニ「元龜元年」トアリ, 播磨高倉, キノ働キ, 利定功ニ, 城攻ノト, 誇ラズ, 九八七

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  • ○寛政重修諸家譜此
  • 間ニ「元龜元年」トアリ

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  • 播磨高倉
  • キノ働キ
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  • 九八七

注記 (25)

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