『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.989

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兵を、銕炮一挺にて數多打倒し、持かため候, に屬し、世忰四人の者とも儀は、直政か先手へ遣はされ、各手負候て、首一, 雄公家老瀧川三郎兵衞, て權現樣へ御目見仕り、上總國山口村にをいて千五百石、武州伊奈木峯, もの五十人仰せ付られ、美濃國赤坂にをいて、井伊兵部少輔直政か隊下, 人下野國小山迄供奉仕候、同年九月、關ケ原御陣のときは、利定儀銕炮の, 成り候、然るに利定始終秀吉と不快に付、惣領惣兵衞家定、二男嘉兵衞定, 千八百七貫文を知行す、高麗陣のときは、前野但馬守、およひ利定子供四, 家斷絶不便におほしめし、相模の國小田原にをいて召させられ、はしめ, 人、ともに朝鮮に渡海し、奮戰して數タ多の功名あり、天正十庚寅年五月、舊, 郷にをいて五百石の釆地をたまはり、すへて貳千石を領し、御先手御銕, 炮頭仰せ付られ、あひつとめ、そののち同年八月、關東御入國の節御供仕, 候、慶長五年、上杉景勝御征伐として、陸奧國會津御發向のときは、父子五, 安、三男佐左衞門正定、四男太郎兵衞安定等まて、信雄公につかへ、利定三, 縁者たるによつて、見舞に參り、則二の丸矢倉請取、寄せ來る秀吉方の敵, 伊勢國松の島に籠城仕候節、玄蕃頭, 其後扱ひに罷能, 慶長十五年二月十三日, ○中略、防戰ノ, 後に羽柴下, 總守と申候, 状況二カヽル, 先手銕炮, 秀吉ニ抗, 家康二屬, 始終秀吉, ト不快, ヲ援ケテ, 瀧川雄利, 頭, ス, ス, 九八九

割注

  • ○中略、防戰ノ
  • 後に羽柴下
  • 總守と申候
  • 状況二カヽル

頭注

  • 先手銕炮
  • 秀吉ニ抗
  • 家康二屬
  • 始終秀吉
  • ト不快
  • ヲ援ケテ
  • 瀧川雄利

ノンブル

  • 九八九

注記 (33)

  • 1697,686,60,1289兵を、銕炮一挺にて數多打倒し、持かため候
  • 300,698,67,2126に屬し、世忰四人の者とも儀は、直政か先手へ遣はされ、各手負候て、首一
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