Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
無雙の達人にて、さけ針に風をつらぬきても打程の名人なり、家の上に鳥, の聲するを聞、家の内より其姿をも見に是を打に、忽にあたる、又、手拭にて, 置れける處に、慶長五年、石田治部少輔三成か騷動の時、諸大名の人質を大, 計りこるに、稻富は近く、十時は遠し、其上稻富は銕砲の上手、十時はしら, 坂城中へ取入んと評定ニ付、細川殿の奧方を一番に取入んとせし時、奧方, 切て死たりしに、此稻富一人は大臆病の人にて、敵もよせさる以前に、主君, 討留んとせしに、稻富伊賀と立花家十時三彌か前をさして驅通る、兩人, 又或人云、高麗御陣中ニ諸大將狩し給ふ事有、其時虎出たりしを、各、是を, を捨て落失、大臆病の惡名をとられし也、此稻富伊賀は銕炮に名を得、天下, 是を銕砲ニ而打候ニ、稻富ははつれ、十時か、玉中りける、跡ニ而其間數を, うと也、今度の稻富か形情によつて、其時も慥したる故ニはつれたる戌, は自害し給ひ、付添居たる三人の家老の内、河北石見、小笠原勝齋は腹かき, へしと、人各評しけると云々、, 〔二川隨筆〕稻富伊賀は、元來細川殿三齋の家來にて、奧方の執權として付, 一統志、武徳編年, 集成ヲ載セタリ、, 一統志、武徳編年, 大臆病, 慶長十六年二月六日, 一〇六七
割注
- 集成ヲ載セタリ、
- 一統志、武徳編年
頭注
- 大臆病
柱
- 慶長十六年二月六日
ノンブル
- 一〇六七
注記 (20)
- 389,637,63,2233無雙の達人にて、さけ針に風をつらぬきても打程の名人なり、家の上に鳥
- 273,645,64,2221の聲するを聞、家の内より其姿をも見に是を打に、忽にあたる、又、手拭にて
- 979,630,60,2237置れける處に、慶長五年、石田治部少輔三成か騷動の時、諸大名の人質を大
- 1446,702,61,2160計りこるに、稻富は近く、十時は遠し、其上稻富は銕砲の上手、十時はしら
- 858,633,65,2234坂城中へ取入んと評定ニ付、細川殿の奧方を一番に取入んとせし時、奧方
- 627,638,61,2230切て死たりしに、此稻富一人は大臆病の人にて、敵もよせさる以前に、主君
- 1682,703,61,2153討留んとせしに、稻富伊賀と立花家十時三彌か前をさして驅通る、兩人
- 1796,702,67,2157又或人云、高麗御陣中ニ諸大將狩し給ふ事有、其時虎出たりしを、各、是を
- 508,636,62,2231を捨て落失、大臆病の惡名をとられし也、此稻富伊賀は銕炮に名を得、天下
- 1563,700,64,2160是を銕砲ニ而打候ニ、稻富ははつれ、十時か、玉中りける、跡ニ而其間數を
- 1330,707,60,2156うと也、今度の稻富か形情によつて、其時も慥したる故ニはつれたる戌
- 742,648,64,2216は自害し給ひ、付添居たる三人の家老の内、河北石見、小笠原勝齋は腹かき
- 1214,722,55,849へしと、人各評しけると云々、
- 1073,580,99,2286〔二川隨筆〕稻富伊賀は、元來細川殿三齋の家來にて、奧方の執權として付
- 1941,722,48,473一統志、武徳編年
- 1898,707,42,494集成ヲ載セタリ、
- 1941,722,48,473一統志、武徳編年
- 626,265,42,127大臆病
- 168,702,43,386慶長十六年二月六日
- 178,2467,44,156一〇六七







