『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.662

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新見正勝, かひ、みつあら太刀をふり、きひしくうつによりて、かたなの目釘たちまち, ありて、正勝を召して、本多作左衞門方より弓鐵炮各百挺うけとり、小幡の, り弓鐵炮うけとり、足輕めしつれ小幡の城にこもる、, 所、從兵討死するもの三十六人なわ, 康重, 政と相戰、康重三好か勢に向、勇功を勵し、自身太刀打仕候處に、刀之目釘, おる、こゝにをひと敵と相組、にの首を捕、この日康重劍をかうふる事七ケ, 大權現遠州に御在國の剋、, 軍功をはけまし、長久手におゐて首級を得たり、大權現小幡の城へ御歸陣, 本多越前守利長家之覺書, 召出され、駿州田中苅田のため御出馬の時、供奉、其後方々御手つかひの節、, を打折、則組打に仕、首を取申候、此日康重手疵七ケ所負申候、家人大久保, 城にこもるべきとの上意のむ〓をうけたまわり、すなはち作左衞門方よ, 久右衞門、平井善五郎、長坂外記と申者を始、彼是三十六人討死仕候、, 一同年四月、尾州長久手合戰之時、御先手にて、三好孫七郎秀次、堀久太郎秀, 〔譜牒餘録〕, 〔寛永諸家系圖傳〕, 彦左衞門、, 後守と改申候、, ○上下略、寛政重修諸家, 生國三河, 彦次郎、後ニ豐, 譜本多康重譜異事ナシ, 三十三, 本多越前守, 三十, 五, ○下, 略, ノ戰死者, 康重部下, 新見正勝, 天正十二年四月九日, 六六二

割注

  • 彦左衞門、
  • 後守と改申候、
  • ○上下略、寛政重修諸家
  • 生國三河
  • 彦次郎、後ニ豐
  • 譜本多康重譜異事ナシ
  • 三十三
  • 本多越前守
  • 三十
  • ○下

頭注

  • ノ戰死者
  • 康重部下
  • 新見正勝

  • 天正十二年四月九日

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  • 六六二

注記 (35)

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