『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1155

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敵將三好秀次、堀秀政等と相たゝかひ、みつから太刀を振り、すゝみ來る, るのところ、おほせに、汝か家累世の忠節うたろふこと絶てあるへから, 敵とたゝかひをましへ、刀の目釘を打をりしかは、組討してつゐに其首, り、首數級を得たり、四月、長久手合戰のとき、諸將とおなしく先鋒に列し、, 年、小田原陣のとき、康重天王口より進て城を攻む、八月關東にうつらせ, 年、東照宮肥前國名護屋に御出陣のとき、仰によりて關東の御留守をつ, に及ふ、また、蟹江の城攻に、創いまた愈すといへとも、士卒をひきゐてし, たかひたてまつり、十三年、石川數正、京師に出奔するのとき、三河の諸將, とむ、四年三月二十日、從五位下豐後守に敍任し、慶長五年、上杉景勝御征, す、なむそ質を求むやとて、紀貞をして廣孝か領地に居しめたまふ、十八, 十九年、陸奧國九戸一揆のとき、御書をたまはり、稗拔まて出張す、文禄元, を得たり、この日、創をかうふること七箇所、從兵討死するもの三十六人, たまふのゝち、上野國のうちにをいて二萬石をたまはり、白井城に住す、, みな人質をたてまつる、こゝにをいて、康重もまた三男紀貞をたてまつ, 松平家信、松平家忠とおなしくかの地に發向して、大に長一の陣をやふ, 慶長十六年三月二十二日, 康重ノ奮, ニ於ケル, キ關東留, 征韓ノト, 長久手役, 守居, 戰, 一一五五

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  • 康重ノ奮
  • ニ於ケル
  • キ關東留
  • 征韓ノト
  • 長久手役
  • 守居

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  • 一一五五

注記 (24)

  • 1703,679,62,2155敵將三好秀次、堀秀政等と相たゝかひ、みつから太刀を振り、すゝみ來る
  • 999,680,59,2152るのところ、おほせに、汝か家累世の忠節うたろふこと絶てあるへから
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