『大日本史料』 2編 5 寛弘元年正月~4年11月 p.510

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かなひぬへくは、此火一度に出て、けふより後きえすして、我すへの人々こ, とみえたり、とのゝおまへ、ほとけの御前にて、三昧の火をうたせ給、我この, れをおなしくつとめ、三昧のともしひをけたすかゝけつくへくは、此一度, これにてえうつしとらす、そのおりは左大臣にてそおはします、此寺の名, をは淨妙寺とそつけられたる、ことゝもはてゝ、殿の御まへをはしめたて, 廿餘年いまたきえす、その日の御願文式部大輔大江匡衡朝臣つかうまつ, れり、おほうかきつゝけたれと、けしきはかりをしるす、はしめの有さまも, に火とくいつへしとの給はせて、うたせ給しに、この火一とにいてて、この, 大願のちからによりて、この山に骨をうつみ、かはねをかくし給へらん人, きかまほしくそ、願文の詞とも、かなのこゝろえぬ事ともましりてあれは、, まつり、藤氏の殿はらみな御誦經せさせ給、僧とも祿たまはりてまかりい, 々、わか先祖よりはしめたてまつり、したしきうときわかす、すきにしかた, より、いまゆくすゑにいたるまて、菩提佛果を證し、かつは自らの二世の願, てぬ、, 兼家、貞元三年十月三日任右大臣、此時道長年十三、六位也、天, 淨妙寺は、東三條のおとゝの大臣になり給ての御, 〔大鏡, 太政大臣道長, 寛弘二年十月十九日, 五一〇

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  • 太政大臣道長

  • 寛弘二年十月十九日

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  • 五一〇

注記 (20)

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