『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.664

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童ヒ罷居候、是を一跡ニ取立可申候、是又御門之儀候間、私には成ましく, 候條、各次之時、御披露頼存之由申候、御寄合中御返事、程久儀候間、然々覺, 無之候、併町羽、拙者申候、其紛有間敷候、拙者も定而宮崎なとへ、彼跡は取, 由也、又新介殿へ申置候、今度有馬表へ拙者一人久々被召置候、諸篇諸人, 心ニ申候、此儀御納得ならは、右之將監之甥にて候肝付名字之者、拙者家, 方へ罷出候するを大慶こ被存、廻を取て上候する談合然〓落著候處、此, 方より御疑共被成、一兩日遲々候て、謀略露顯候て、彼人生害候、依妻子等、, ゆかりの事候、此跡を可被召立事、各頼存之由、町田出羽守殿へ談合申、同, 立置候するとそ存候はんすらん儘、左樣之明合之時、無異儀談合可被成, 時皆々御所領被下候て罷居候、彼は其跡候は手は無其儀候、拙者無餘儀, 八月は必肥後國中御出勢相定、談合事澄候, 又其母にて候は、拙者母方之伯女にて候、それなと迄死罪候、然者此類當, 然者彼表なとにて、老中役と拙者一人いつかたへ罷越候へ、又居留, へ申事等無承引方も候、左候へは、必竟御爲と罷成ましく候間、申事候、來, 候へなとゝ承候共、一圓と罷成ましく候、御寄合中誰一人も御座候する、, 天正十二年六月二十九日, ○義久、忠平ニ肥後出兵ノユ, トヲ諮ルコト、本月十九日ノ, 條一, 見ユ, 八月ハ肥, 町田左近, スベシ, 後ニ出兵, 將監自殺, 老中役, ス, 六六四

割注

  • ○義久、忠平ニ肥後出兵ノユ
  • トヲ諮ルコト、本月十九日ノ
  • 條一
  • 見ユ

頭注

  • 八月ハ肥
  • 町田左近
  • スベシ
  • 後ニ出兵
  • 將監自殺
  • 老中役

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  • 六六四

注記 (28)

  • 1084,708,74,2145童ヒ罷居候、是を一跡ニ取立可申候、是又御門之儀候間、私には成ましく
  • 968,710,80,2154候條、各次之時、御披露頼存之由申候、御寄合中御返事、程久儀候間、然々覺
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