『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.106

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置けり、兵とも寺々に入みちて、是を取したゝめなとす、申の刻はかりに、何の寺なら, ん火出て、ほのほ空にあかり、黒煙おほへり、折ふし風もそひけれは、先々にもえつき, こめをかれし中村式部少と戰ぬ、尾張と平なりぬれは、かの國たいらけん爲なりけり、, なみし大傳法院計そのこりしなり、此時こ川もともに燒れけり、, 吉根來にうつり給ふ、寺々はみな明うせ、僧俄に落行たりと覺えて、器以下取ちらして, うへの山へにけあかり給ふ、明る日の辰のをはりまてもえあひけり、かくはん上人いと, りこみたる寺ともなれは、一も殘はなかりけり、秀吉宿所せんしき坊にも火掛けれは、, 天正十三歳の春、秀吉軍を紀伊國に趣け給ふ、去年尾張に戰ひ給ふ折から、根來・こ川, り、此勢におそれ、殘れる城ともかこみをすてゝちり〳〵に落行けり、三月廿一日、秀, 法師紀伊國の野伏かたらひ合、和泉の國きしのわたの南に城三四かまへ、きしのわたに, 諸々の勢を先にしきしのわたに至り給ふ、根來法師の守し千石かいはやとかやを、堀左衞, おひたゝし、兵ともあはてさはき、物の具やう〳〵たつさへてにけ出けり、軒を重て作, 門督・長谷川藤五郎なと旗をすゝめ責戰ふ、時をかへすなひかし、五百餘人か首を切け, 日ノ條ニ, ○下略、秀吉、太田城ヲ陷ル, コトニカヽル、四月二十二, 收ム, 日ノ條ニ, 石堀ヲ攻撃, 堀秀政モ千, 火掛ル, 専識坊ニモ, 秀吉ノ宿所, ス, 天正十三年三月二十一日, 一〇六

割注

  • ○下略、秀吉、太田城ヲ陷ル
  • コトニカヽル、四月二十二
  • 收ム
  • 日ノ條ニ

頭注

  • 石堀ヲ攻撃
  • 堀秀政モ千
  • 火掛ル
  • 専識坊ニモ
  • 秀吉ノ宿所

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 一〇六

注記 (26)

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