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城は敵の爲に燒かる、餘烟庵室に及ひし故に、天正十九年村の東北隅に移し、善福寺と, 村の南の方にあり、天正年間、白樫左衞門の居城といふ、, なり、今田畑の字に鷹部屋・馬屋・西堀・〓亭の裏といふあり、皆城ありし時の名の遺, 號す、正保二年改宗して淨土眞宗となり、寺號を改めて今の名となる、, 城跡, 熊野七士の中、牟婁郡周參見の城主周參見主馬太輔氏長、天正中落城すといへとも、舊, りたるなり、天正十二年、宮崎隱岐守定之の代に至りて、羽柴美濃守秀長の爲に攻られ, 家なるに依りて本領其儘給はり、嫡子一之丞と共に、朝鮮の役に、九鬼大隅守と一手に, て落城すといふ、, 今村中にて、城の内と唱ふる所方一町許あり、是嘉應元年、宮崎筑前守定範の築く城跡, 〔紀伊續風土記〕, 〔紀伊續風土記〕, なり、彼地にて軍功あり、慶長中故ありて周參見を退き、主馬京都にて死し、嫡子一之, 舊家周參見直之進, 白樫城跡, 湯淺莊湯淺村, 五十九在田郡一一, 湯淺莊栖原村, 五十九在田郡三, 五十九, 在田郡一, 湯淺莊, 湯淺莊, 五十九, 栖原村, 宮崎氏ノ城, 周參見氏長, 白樫城, 跡, 天正十三年三月二十五日, 三二一
割注
- 湯淺莊湯淺村
- 五十九在田郡一一
- 湯淺莊栖原村
- 五十九在田郡三
- 五十九
- 在田郡一
- 湯淺莊
- 栖原村
頭注
- 宮崎氏ノ城
- 周參見氏長
- 白樫城
- 跡
柱
- 天正十三年三月二十五日
ノンブル
- 三二一
注記 (31)
- 1763,672,70,2228城は敵の爲に燒かる、餘烟庵室に及ひし故に、天正十九年村の東北隅に移し、善福寺と
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