『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.248

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山も皆城をあけ逃去ける、阿蘇の惟行も幼少に御在せしか、はや降參して薩摩の下へそ, 言を申れけれは、肥後國中ニ殘者はなかりけり、去程ニ此度御手裏に進ル城數、津守, 方やおもひけん、同十五日の早朝に城を棄てそ逃退ける、其より津守・木山・友智・中, いまた參さりける、此刻知行せられ、美船之は義弘打入玉へは、隈庄ニは伊集院忠棟打, ゝ、敵方へ告知らせ、高瀬陳の慈遠く取陳、種々の成謀計也、美船の知行の折節、露, 參給ふ、又合子ノ藏人は吉松陣の折節、野心の志あり、吉松の陳之も相火に鐵炮打せつ, 顯して合子を下城させ、八代の内小野と云處ニ移し置れけるか、又薩摩のことく參り、, 入られける、即城の親政・伯耆顯隆・同舍弟の顯廣、其外隣國の大名郡司參陳シテ御祝, 木山・友智・中山・白石・田代・武宮・高佐・堅志田・隈庄・美船、此表は合子・和井, 一、薩摩・大隅・日州之軍兵を打登せ、天正十三年八月十二日、法蓮寺嶽ニ諸軍勢を上て, 合ん者はなし, 府・鴻巣、以上四ケ所、一月ノ内ニ御分領と成ケレハ、薩摩の人々は目出度御世と喜ひ, 菱刈羽月の山里ニ暫く住居せられける、和井府も隈部も吉松陳の折節御約束申けれとも、, 〔長谷場越前自記〕, ○下略、忠平八代ニ歸陣スルコトニカヽル、九, 月二十二日ノ條ニ收ム、ナホ明赫記異事ナシ、, ○後編薩藩舊記, 雜録十六所收, 阿蘇氏降ル, シ諸城, 城ス, 島津ニ降リ, 隈庄御船開, 天正十三年閏八月十五日, 二四八

割注

  • ○下略、忠平八代ニ歸陣スルコトニカヽル、九
  • 月二十二日ノ條ニ收ム、ナホ明赫記異事ナシ、
  • ○後編薩藩舊記
  • 雜録十六所收

頭注

  • 阿蘇氏降ル
  • シ諸城
  • 城ス
  • 島津ニ降リ
  • 隈庄御船開

  • 天正十三年閏八月十五日

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  • 二四八

注記 (25)

  • 1694,716,62,2240山も皆城をあけ逃去ける、阿蘇の惟行も幼少に御在せしか、はや降參して薩摩の下へそ
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