『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.38

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たり、田原陣ゟは、はるか間もあれは、つゝひそも間ニ合す, 東か陳に忍ひ、一首の雜歌を連〓て、敵陳にそ建たりなる、伊東めか眞幸の, 陳は楠比良に飯野ほしさに帶のゆるさや、貴久公此由を聞召、油斷しては, 相圖をなして切て掛る、伊東思ひかけなき敵に後を取切れ、猶豫する所へ, の土民ともみな仇をなし、飯野城を侵んとしけれは、忠平不易事に思われ、, りし所迄追たりしかは、黒木、遠矢、思ふ圖に敵をやひすこし、伊東勢の後ゟ, 固く飯野の地を令守護玉ふ、蒐りける處に、旗下の軍兵伊東を〓り、密に伊, 本地原之樣こ靜に引とりしかは、伊東勢いきをひに掛り、黒木、遠矢か伏た, 惡りなんと、究竟の竟勇を勝つて楠比良に差向らる、されとも霖雨久降續, 無二無三に切て掛まは、鶉狩乃人數も返し合、引つゝんで戰ひ、敵數多討取, 東もまた是に志を合さ、飯野の中楠比良に陳を取りはる間、加久藤、間關田, て、城を責へき謀も叶わされは、其間兵具を修せん其爲に、軍衆少々討歸ま, 〔舊典類聚〕, 八月九日、大口の兇徒とも、その約を變し、堂崎の邊に一陳を構へけれは、伊, 同, 田原陳ゟ本地原, 間あり、〇下略、伊東義盆死去ノコトニカヽル、, 口迄拾三町四拾, 舊典類聚四所收木崎原御一戰參考異事ナシ、, 八下, ○上略、永祿十一年五月、島津忠良薩摩山野同, 三國擾亂記五ノ地ヲ相良義陽ニ興フルコトニカヽル、, 三國擾亂記五, 永祿十一年八月是月, 三八

割注

  • 田原陳ゟ本地原
  • 間あり、〇下略、伊東義盆死去ノコトニカヽル、
  • 口迄拾三町四拾
  • 舊典類聚四所收木崎原御一戰參考異事ナシ、
  • 八下
  • ○上略、永祿十一年五月、島津忠良薩摩山野同
  • 三國擾亂記五ノ地ヲ相良義陽ニ興フルコトニカヽル、
  • 三國擾亂記五

  • 永祿十一年八月是月

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  • 三八

注記 (25)

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