『大日本史料』 8編 16 文明16年正月~同17年正月 p.520

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々る、, 曙より、矢倉の鏑を射て、敵味方入亂鬪ひらるに、伊東か軍忽破れ、伊東長門, の中山崎、牧ノ峯に出張して、同十日には、大村さいの口にて諸勢屯をなし、, を知らされは、味方勝時を作り、諸兵勇をなして退陳す、去程に、祁答院の城, し、混分に奉屬太守旗下と、盡忠節候へし、偏に罪を宥され候へかしとそ申, 主澁谷左衞門尉重慶か使者、鹿府え到著して奏しらるは、今度飫肥御出陳, 軍まてにて、太刀打には及はす掛りらる所に、日置肥前守横川の勢を催し、, は重慶か緩怠、さこそ遺恨にや思し候め、不如唯重慶是より無二の志を存, も急々なれは、先澁谷退治を閣も、文明十六年、諸軍〓肥へ馳進、六月廿日の, 守祐國討死しけれは、敵兵も既に弱り、或は痛手を負、或は討るゝもの、其數, 同十五日、在々處々を放火し々るに、黒木中津川の在家一宇も不殘燒盡す、, 其夜祁答院の軍衆八百餘人、戈尾峰を馳せ越、矢合を初ずれとも、今夜は矢, 太守此事を聽給ひ、於今澁谷か訴へ僻事也、即事も非可閣と、文明十六年九, 月初、薩州匠作、村田肥州等を初め、國方御内の人々率大軍、九月八日、祁答院, 澁谷に力らを合せけれは、重慶忽大勢と成、乘勢戰ひしかは、味方大半討れ, 文明十六年十一月十四日, 武久忠廉, 祐國ノ討, 重慶ヲ攻, 守ノ助力, 日置肥前, 等ヲ遣シ, 討伐ヲ閣, 一依リ優, 重慶ノ軍, 武久重慶, 勢トナル, 死, 五二〇

頭注

  • 武久忠廉
  • 祐國ノ討
  • 重慶ヲ攻
  • 守ノ助力
  • 日置肥前
  • 等ヲ遣シ
  • 討伐ヲ閣
  • 一依リ優
  • 重慶ノ軍
  • 武久重慶
  • 勢トナル

ノンブル

  • 五二〇

注記 (29)

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  • 1721,634,73,2187曙より、矢倉の鏑を射て、敵味方入亂鬪ひらるに、伊東か軍忽破れ、伊東長門
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