『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.756

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近、芳野宮内, 西〓榊原刑部、, 淵ふかし、西は谷ぬかくそひへ、いなしら川の水湛々たり、北モ深田にて、人, 定らる、東土臺口にで蒲生氏郷、田丸中務, 馬の行歩自在ならす、されと田畔をつたひ、疇をしのきて、折々合戰しけり、, は中尾内藏允、淨土寺の城〓守岡金助、連部は家所家、又林乃城をつくりて、, 々を守らせ、又は付城をこしらへらる、氏郷の領には、曾原の城主上坂左文, れる戸木の城を攻へしとて、先織田、蒲生兩家それ〳〵に隣郷の處士の城, 處士城を渡さす、猶信雄公の味方せしにより、先木造左衞門佐具康か楯籠, にてそ有〓る、かくて寄手數度攻寄とれとも、城中堅固に防戰せしかは、中, 〳〵たやすく落へき樣はなかり〓り、南は雲出川城下を流れ、岸壁自然の, 須賀の城〓坂源左衞門尉、畑の城は生駒彌五左衞門尉、小川の城は谷崎忠, 右衞門尉守之、信兼の領分には別保、上野の城は分部左京亮、半田神戸の城, 南べ澤源六郎、秋山右, 北〻家所三河守、, 信兼の男三十郎を入置る、後林民部少輔と云、さて戸木の寄手の攻口を相, 東一方廣野眇々として、野邊野につゝき、幾千萬騎の陳所も有といへ共、, 風早東織田上野介、分部左京, 野邊川方に, 初は風早の地より乾に陳取しか、宮山に戸, 木ゟ出城を拵置しを攻取、後に宮山に陳す、, 葉野に陳を取、, いなしら川の上, 陳をとる、, 川を隔高野、日, 置に陳を取, 戸木ノ地, 勢, 天正十二年七月十二日, 七五六

割注

  • 野邊川方に
  • 初は風早の地より乾に陳取しか、宮山に戸
  • 木ゟ出城を拵置しを攻取、後に宮山に陳す、
  • 葉野に陳を取、
  • いなしら川の上
  • 陳をとる、
  • 川を隔高野、日
  • 置に陳を取

頭注

  • 戸木ノ地

  • 天正十二年七月十二日

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  • 七五六

注記 (30)

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