『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.43

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しに責漬し、夫ゟ高原に軍をよせらるゝ、江間父子處々の砦に人数をこめ、爰にさゝへ、, といひ、よろこび許諾セり、又、柳の御所姉小路の被官松崎兵庫頭も來つて、高綱一家、, ゝ、松倉城中の輩色を失ひける、三木もかなひかたくおもひけん、頓て降參の事をいひ, はとて、白川を出馬あり、白屋父子先手として、上野郡へ乱入、松倉城を責んとて、河, 入れたり、謙信も道路を〓て、打入たる事なれは、是を面目として有恕あり、また當國, 先陳に加わり、又昨日まで無二の黨たりし一宮社家氏子等敵と成りて、寄手へ屬せしま, 人数を番兵として引退く、松倉にては、姉小路の軍代廣瀬・杉崎多勢を卒して、謙信の, 向後謙信の一味たらん事を望む、謙信許諾す、越後勢勇み競ふて、路次なれとも、さら, り南の地を三木にあたへらるゝ、また味方に遲參セし國侍の所々にある小城を、かたは, 長に組し、折節越前に在陳し、油守居の兵のみ籠りしが、越後勢速こセめ落し、白屋が, 一の剛のもの江間常陸介、鏃を研て守居り、斟酌有て也、さて松倉の地を除き、萩原よ, ・杉原左近將監に、和耳・後藤を内案者として、八百余を指向らる、内島は先より織田信, 上川邊に陳し、まづ内島出羽守か歸葉の城を屠へしとて、山吉玄蕃允・色部長門守, よし、盟書を呈しけれは、神職なれども、武邊にすくれたるものなり、謙信降人はじめ, 一に丹, 波守、, 自綱謙信ニ, 降ル, 謙信飛騨松, 謙信飛騨高, 原城ヲ攻ム, 倉城ヲ攻ム, 元龜三年八月七日, 四三

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  • 一に丹
  • 波守、

頭注

  • 自綱謙信ニ
  • 降ル
  • 謙信飛騨松
  • 謙信飛騨高
  • 原城ヲ攻ム
  • 倉城ヲ攻ム

  • 元龜三年八月七日

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  • 四三

注記 (24)

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