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しつけ見せ給ふ事なし、仍如件、, 日は其方旗をば瀬田にたて候へと仰らるゝは、御心みだれて如此、然共少有て御目を開, 仰らるゝは、大底還他肌骨好、不塗紅粉自風流とありて、御とし五十三歳にして、おし, 近所へ燒詰、濫妨に女童部を取て子細なく歸るなれば、是とても我等にかたをならぶる, 敷候、三年の間深つゝしめとありて、御目をふさぎ給ふが、又山縣三郎兵衞をめし、明, 家老衆談合のうへ、諏訪の海へしづめ申事ばかり不仕、三年目四月十二日、長篠合戰, も謙信も信長・家康ともに用心候へ共、北條方は深澤・足柄、家康方は二俣、三河宮, 弓矢とは申がたし、信玄煩なりといふ共、生て居たる間は我持の國々へ手さす者は有間, へ少も取事なけれ共、高坂彈正人數計をもつて越後へ働、輝虎居城春日山へ東道六十里, 月前に、七佛事の御弔仕り候、信玄公御一代の御武勇御勝利、卅八年の間一度も敵にを, むべしおしかるべし、あしたの露ときえさせ給ふ、をの〳〵御遺言のごとく仕候へども、, 崎・野田、信長方は岩村・かんの大寺・瀬戸、信濃迄とる、謙信ばかり越後の内を此方, 藤・山縣に委被仰付、其次に信玄生たる間は、我等に國をとられぬやうにと、氏康父子, 〔總見記〕十一, 天正元年四月十二日, 三三〇
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- 天正元年四月十二日
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- 三三〇
注記 (16)
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