『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.112

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に五十日と申す六月七日、正信とし七十九歳にて卒し〓り、, 今の身にては、大殿の御恩是にしく事や候へきと、かたく辭し申て給らす、, 國の備、士を養ふよりさおなるはあらす、今正信に給はらん所をもつて、勇, 力の士に充行れ、四海のうちうこおなく、正信しつかに老を送り候はん〓、, 元和二年四月十七日、大御所薨し給ひてのち、わつか, む中めかか給る睡石炊いくしり前のと七御す, かな參た〓ふ事り川頭となめてふに人見か所朋信, き御かしうせす考お又大御いのち御殿人其大., ひをらちりとかて丈利〓]を參き參々える滅友を, 〓はるへしとて罷出つ、徳川殿又仰らるゝ旨もなし、其時に、土井大欺〓利, て候、その事おほしめしはかられん上は、正信、何事をか申すへき、御いと〓, て候せら事してかとへのれら參其給め言大に, 大御所、正信を, 見給ふ事、朋友, 地を領する事、わつか, に二万餘石といふ、, よひて大殿といひ、將軍家をはわか殿とよふ、軍國の機事に至て、其はかる, の〓くにて、將軍家は長者をもつてまたせ給ふ、正信も又つぬに、大御所を, ところ言葉おふからす、一言二言にて究たり、よく諷諭に長せる人と見, 〓之居て申旨もなし、又のたまふ所よしと思へる時は、ほめ參らする事, 〓りなし、我御前につかへ奉りし事多を内に、正信と事をはからせ給ふ〓, し、はしめ大坂にて、大名七人、石田治部少輔三成うたんとす、徳川殿の人々, 一の物かた〓に、正信、大御所の仰られし所、我心に得さる時ハ、う吉睡すて, 兄えし事、りつかに二度ならては見す、世の人の事はかるとはやうかわり, 〓しに、其夜はいまた亥の半なるに、はや御殿こもりあり、正信打しわふ, 〓御かたりらにあつて承りきと、のじに石谷將監にかた〓し也、又石川丈, ると仰られしに、正信則、別の事にも候はす、石田か事いかにやおほしめか, 〳〵參り、此夜ははやう御寢ならせ給ふと申、徳川殿も、何事かありて參, )申はれは、今も其事をこそ思ひはかれと仰らる、正信、扨は心やすくな, ノめつらか也まつ一度は、大御所、正信か座せし所を通らせ給ひしか、たち, ヽ候、その事おほしめしはかられん上は、正信、何事をか申すへき、御いと, 制し給ひしによつて、事たいらきぬ、其時伏見の御舘にて、正信御前に參, 1ゆくにひやららう也井きやおか打信川るてに給, 給はるへしとて罷出つ、徳川殿又仰らるゝ旨もなし、其時に、土井大次〓利, 成ノ處分, ノ問答, 正信ノ諷, 前石田三, ル正信ノ, 家康正信, 諫, 問ニ應ズ, 關ケ原役, ニツイテ, 家康ノ諮, 態度, 元和二年六月七日, 一一二

割注

  • 大御所、正信を
  • 見給ふ事、朋友
  • 地を領する事、わつか
  • に二万餘石といふ、
  • よひて大殿といひ、將軍家をはわか殿とよふ、軍國の機事に至て、其はかる
  • の〓くにて、將軍家は長者をもつてまたせ給ふ、正信も又つぬに、大御所を
  • ところ言葉おふからす、一言二言にて究たり、よく諷諭に長せる人と見
  • 〓之居て申旨もなし、又のたまふ所よしと思へる時は、ほめ參らする事
  • 〓りなし、我御前につかへ奉りし事多を内に、正信と事をはからせ給ふ〓
  • し、はしめ大坂にて、大名七人、石田治部少輔三成うたんとす、徳川殿の人々
  • 一の物かた〓に、正信、大御所の仰られし所、我心に得さる時ハ、う吉睡すて
  • 兄えし事、りつかに二度ならては見す、世の人の事はかるとはやうかわり
  • 〓しに、其夜はいまた亥の半なるに、はや御殿こもりあり、正信打しわふ
  • 〓御かたりらにあつて承りきと、のじに石谷將監にかた〓し也、又石川丈
  • ると仰られしに、正信則、別の事にも候はす、石田か事いかにやおほしめか
  • 〳〵參り、此夜ははやう御寢ならせ給ふと申、徳川殿も、何事かありて參
  • )申はれは、今も其事をこそ思ひはかれと仰らる、正信、扨は心やすくな
  • ノめつらか也まつ一度は、大御所、正信か座せし所を通らせ給ひしか、たち
  • ヽ候、その事おほしめしはかられん上は、正信、何事をか申すへき、御いと
  • 制し給ひしによつて、事たいらきぬ、其時伏見の御舘にて、正信御前に參
  • 1ゆくにひやららう也井きやおか打信川るてに給
  • 給はるへしとて罷出つ、徳川殿又仰らるゝ旨もなし、其時に、土井大次〓利

頭注

  • 成ノ處分
  • ノ問答
  • 正信ノ諷
  • 前石田三
  • ル正信ノ
  • 家康正信
  • 問ニ應ズ
  • 關ケ原役
  • ニツイテ
  • 家康ノ諮
  • 態度

  • 元和二年六月七日

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  • 一一二

注記 (48)

  • 1300,634,69,1794に五十日と申す六月七日、正信とし七十九歳にて卒し〓り、
  • 1537,626,68,2235今の身にては、大殿の御恩是にしく事や候へきと、かたく辭し申て給らす、
  • 1771,627,65,2214國の備、士を養ふよりさおなるはあらす、今正信に給はらん所をもつて、勇
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  • 1423,1277,63,1567元和二年四月十七日、大御所薨し給ひてのち、わつか
  • 125,2656,1203,45む中めかか給る睡石炊いくしり前のと七御す
  • 125,2726,1246,48かな參た〓ふ事り川頭となめてふに人見か所朋信
  • 126,2581,1183,47き御かしうせす考お又大御いのち御殿人其大.
  • 121,2798,1317,53ひをらちりとかて丈利〓]を參き參々える滅友を
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  • 695,653,55,2175て候、その事おほしめしはかられん上は、正信、何事をか申すへき、御いと〓
  • 106,852,1181,53て候せら事してかとへのれら參其給め言大に
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  • 1405,642,43,556に二万餘石といふ、
  • 1169,646,55,2186よひて大殿といひ、將軍家をはわか殿とよふ、軍國の機事に至て、其はかる
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