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尻・紙屋に連き、番兵を籠て、由々敷風情なり、薩摩方は飯野の城を本城として、加久, 聞へける、元龜二年の冬の頃より眞幸へ發向して、三ツの山・小林を家陣とし、高原・野, 三州にふるひ、其勢ひ日々強大に成、伊東の迫切なりとおもふ、殊こ義久之舍弟兵庫頭, 陳として、猛勢を以薩摩の勢を追拂ひ、いかにもして兵庫頭を可打と仰けれは、伊東の, 向へ薩摩勢を引請ては、伊東の家の大事と可成ル、早速日州勢を催促して、小林の城を家, 一門一家宗徒の人々、尤と同意し、評定一決して、國中に相觸て打立、着到八千余騎とそ, 藤・吉田・吉松を枝城に以相戰ふ、伊東さすか猛勢なれは、飯野・加久藤に懸る時もあ, 落去といへとも、是は我が嘉運の故〓、今の如くば終には三の山も難〓相覚る、先ツ日, ゟ境目爲御用心、佐牟田常陸・源乃播磨を始、雜兵八拾人餘、小林口迄被差越候処、, は、其身至剛にして武勇拔萃の士と聞へ、其上去る永祿九年に小林を攻らるゝに、城不, 〔箕輪伊賀自記〕伊東大和守散位藤原祐純入道、嶋津殿當代、至貴久・義久、權威を, 賀守祐隆・同子新次郎、飯野え押寄及合戰候処、伊東殿父子共討死也、右之節御當家, 伊東家敗軍故、歸陳也、, 〔歴代參考〕陽公坤一、同年五月三日、日州飯野城主嶋津兵庫頭義弘也、伊東加, 義陽公坤, トシ薩摩ヲ, 侵サントス, 小林ヲ根據, 佐牟田常陸, 相良氏境界, 警備ノ爲メ, 島津氏飯野, 等ヲ小林口, 義祐三の山, 二遣ス, 城ヲ據點ト, シ之ヲ拒グ, 元龜三年五月四日, 一三五
割注
- 義陽公坤
頭注
- トシ薩摩ヲ
- 侵サントス
- 小林ヲ根據
- 佐牟田常陸
- 相良氏境界
- 警備ノ爲メ
- 島津氏飯野
- 等ヲ小林口
- 義祐三の山
- 二遣ス
- 城ヲ據點ト
- シ之ヲ拒グ
柱
- 元龜三年五月四日
ノンブル
- 一三五
注記 (29)
- 395,611,67,2250尻・紙屋に連き、番兵を籠て、由々敷風情なり、薩摩方は飯野の城を本城として、加久
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