Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
へしと仰出され、紺糸威の御鎧、栗毛の御馬に前後十文字の金紋付たる黒塗の鞍を置き、, 足らぬ也、其を三分一は遠矢下総大將にて早々繰出し、本道ゟ加久藤に後詰たるへしと, 入らせ給ひ、御廣間にて湯漬御膳早々召上られ、御手當あり、在城の士分惣勢三百人に, し給ひ、十文字の旗一流れ、いかにも高く差上、惣勢眞しぐらに打時雨てそ出玉ふ、御供, 御玄関より御馬に召れ、御甲の緒を御しめ、此節伊東か根を絶すへしと、御齒かみをな, させ、又火の手を揚て菱刈諸所のつなきの城に云ひ知らすへし、御畄主は有川雅樂たる, て遣さる、又村尾源左衞門は敵の歸路本地口の古溝の内こ伏すへし、案内は富永万左衞, 迄山々に百姓とも拾四人旗はかりを立させ、亦飯野・加久藤の間なる諏訪にも旗計を立, 藤の虚を伺かひ、夜討するに極たり、兼て謀りし如く也、何も心得たるかとの玉ひ、内に, 門仕へし、亦小林ゟ飯野え別手紙を以責かゝらぬも計りかたしとて、横尾八幡ゟ本知原, 參れと御下知ある、然る處こ上江・死苦村の蒲生丹波と言もの、裸か馬に鞭を加へて馳, 來り、今夜上江筋に轡の音引も切らす仕候によつて伺かひみ申候處に、伊東勢と相見え、, 人馬夥しく加久藤さして趣きける、息つきて言上す、, 忠平公扨こそ伊東勢加久, カ、今四帖敷の祠堂に安置せり、又鞍骨あり、此も此時玉はりしと云傳るよし、, 御刀波平安行、御鑓壹本下シ置る、寛政十年戌年、其子孫を藤元弥兵衞と云者, 此注進申上、又は癩病者を殺せしかた〳〵の, 御褒美として、高百石并に御鎧一領・御甲・, 繋ギノ城, ヲ出デテ敵, 忠平飯野城, 二向フ, 元龜三年五月四日, 一一一
割注
- カ、今四帖敷の祠堂に安置せり、又鞍骨あり、此も此時玉はりしと云傳るよし、
- 御刀波平安行、御鑓壹本下シ置る、寛政十年戌年、其子孫を藤元弥兵衞と云者
- 此注進申上、又は癩病者を殺せしかた〳〵の
- 御褒美として、高百石并に御鎧一領・御甲・
頭注
- 繋ギノ城
- ヲ出デテ敵
- 忠平飯野城
- 二向フ
柱
- 元龜三年五月四日
ノンブル
- 一一一
注記 (24)
- 522,661,60,2229へしと仰出され、紺糸威の御鎧、栗毛の御馬に前後十文字の金紋付たる黒塗の鞍を置き、
- 1100,645,61,2245足らぬ也、其を三分一は遠矢下総大將にて早々繰出し、本道ゟ加久藤に後詰たるへしと
- 1213,647,64,2240入らせ給ひ、御廣間にて湯漬御膳早々召上られ、御手當あり、在城の士分惣勢三百人に
- 289,650,61,2239し給ひ、十文字の旗一流れ、いかにも高く差上、惣勢眞しぐらに打時雨てそ出玉ふ、御供
- 405,648,59,2244御玄関より御馬に召れ、御甲の緒を御しめ、此節伊東か根を絶すへしと、御齒かみをな
- 637,654,61,2236させ、又火の手を揚て菱刈諸所のつなきの城に云ひ知らすへし、御畄主は有川雅樂たる
- 985,653,62,2242て遣さる、又村尾源左衞門は敵の歸路本地口の古溝の内こ伏すへし、案内は富永万左衞
- 753,652,60,2242迄山々に百姓とも拾四人旗はかりを立させ、亦飯野・加久藤の間なる諏訪にも旗計を立
- 1330,644,63,2243藤の虚を伺かひ、夜討するに極たり、兼て謀りし如く也、何も心得たるかとの玉ひ、内に
- 867,652,63,2241門仕へし、亦小林ゟ飯野え別手紙を以責かゝらぬも計りかたしとて、横尾八幡ゟ本知原
- 1793,645,65,2245參れと御下知ある、然る處こ上江・死苦村の蒲生丹波と言もの、裸か馬に鞭を加へて馳
- 1676,650,67,2235來り、今夜上江筋に轡の音引も切らす仕候によつて伺かひみ申候處に、伊東勢と相見え、
- 1561,652,65,1347人馬夥しく加久藤さして趣きける、息つきて言上す、
- 1450,2256,58,636忠平公扨こそ伊東勢加久
- 1428,644,49,1580カ、今四帖敷の祠堂に安置せり、又鞍骨あり、此も此時玉はりしと云傳るよし、
- 1474,648,48,1580御刀波平安行、御鑓壹本下シ置る、寛政十年戌年、其子孫を藤元弥兵衞と云者
- 1596,2015,43,868此注進申上、又は癩病者を殺せしかた〳〵の
- 1551,2018,46,861御褒美として、高百石并に御鎧一領・御甲・
- 648,271,44,172繋ギノ城
- 497,272,39,216ヲ出デテ敵
- 542,271,41,217忠平飯野城
- 457,281,37,112二向フ
- 188,759,42,347元龜三年五月四日
- 188,2430,42,95一一一







