『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.149

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崎に移たまひて、家長をめされ、伯耆守が同心八十騎をあづけさせたまふ、, きて、此事を上聞に達しければ、重勝か心はせのおこたらさる事を、はなはた御感あり、, の者を引具してはせ來り、騒動を鎭めて御感にあつかる、, か家累世忠あり、我うたかふ事なし、なんそ質をもとめんやとて、すなはち紀貞を祖父, をひて康重もまた、二男紀貞を質としてたてまつるところに、大權現ののたまはく、卿, 天正年中石川伯耆守逆心有て、岡崎を出京都におもむく時、重勝早速岡崎の城へはせつ, 同十三年、石川伯耆守數正、秀吉に屬し岡崎をさりて大坂にいたる、大權現濱松より岡, 同十三年、石川伯耆守上方へ出奔のとき、三州の諸城主みな人質にたてまつる、こゝに, 〔寛永諸家系圖傳〕九十本多康重, 廣孝か領地に居せしめたまふ、, 十三年十一月十三日、石川數正か岡崎城をたちのき上方にのほりしとき、重勝いそき手, 〔寛永諸家系圖傳〕五松平重勝, 〔寛永諸家系圖傳〕八十内藤家長, 〔寛政重修諸家譜〕〓十松平能見重勝, 〔寛政重修諸家譜〕, ○寛政重修諸家譜六, 百九十一異事ナシ、, 六, 三十, 内藤家長, ヲ返サル, 本多康重, 家康ヨリ質, 數正ノ同心, キ繼グ, 八十騎ヲ引, 松平重勝, 一四九, 天正十三年十一月十三日

割注

  • ○寛政重修諸家譜六
  • 百九十一異事ナシ、
  • 三十

頭注

  • 内藤家長
  • ヲ返サル
  • 本多康重
  • 家康ヨリ質
  • 數正ノ同心
  • キ繼グ
  • 八十騎ヲ引
  • 松平重勝

ノンブル

  • 一四九
  • 天正十三年十一月十三日

注記 (29)

  • 327,595,57,1923崎に移たまひて、家長をめされ、伯耆守が同心八十騎をあづけさせたまふ、
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