Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
孫すへをかせたまふ、, 略傳〕台徳院樣より右近大夫に被下, 上意、彦根に還全く守護すへしと、御馬并御紋御服拜領、, れ、石壁を高く、隍塹を深して、あらたに城を築き、かたしけなくも、直政か子, らさるのあひた、これを彦根山にうつすへしとて、すなはち御人衆仰付ら, 諸大名に令せしめ、人數を出し、守勝經營す、彦根金龜山城、守勝奉行二年に, 候由、其故ハ、關ケ原御陣之時、直政、本多中務大輔兩人、總大將分之支配被仰, 彌可入精候段、肝要候也、, 〓彦根山普請之樣子、聞屆度候而、差上小澤瀬兵衞候、炎天之時分、苦勞共候, 被差置候儀、第一、敵將石田治部少輔居城に付被下, 井伊右近大夫殿, 江州佐和山に、直孝, 〔寛永諸家系、圖傳〕, して城郭全美、守勝駿府に下、并江府築城御禮申上、御暇之節、家康公、秀忠公, 井伊直政慶長七年二月、四十二歳にて卒す、〓, 直政卒してのち、同九年の春、台命にのたまはく、佐和山の城地、よろしか, 御直判, 七月十五日, 〔井伊, 七月十五日御直判, ○政, 七十, 直政, ノ誤, 直孝, 六, 佐和山城, ヲ直政ニ, 賜ヒシ理, 普請奉行, 彦根城ノ, 由, 慶長九年七月一日, 三五三
割注
- ○政
- 七十
- 直政
- ノ誤
- 直孝
- 六
頭注
- 佐和山城
- ヲ直政ニ
- 賜ヒシ理
- 普請奉行
- 彦根城ノ
- 由
柱
- 慶長九年七月一日
ノンブル
- 三五三
注記 (34)
- 1096,653,54,645孫すへをかせたまふ、
- 956,940,93,1134略傳〕台徳院樣より右近大夫に被下
- 1676,653,64,1653上意、彦根に還全く守護すへしと、御馬并御紋御服拜領、
- 1203,655,69,2215れ、石壁を高く、隍塹を深して、あらたに城を築き、かたしけなくも、直政か子
- 1322,659,65,2207らさるのあひた、これを彦根山にうつすへしとて、すなはち御人衆仰付ら
- 1910,655,64,2208諸大名に令せしめ、人數を出し、守勝經營す、彦根金龜山城、守勝奉行二年に
- 264,647,60,2214候由、其故ハ、關ケ原御陣之時、直政、本多中務大輔兩人、總大將分之支配被仰
- 738,722,58,715彌可入精候段、肝要候也、
- 850,724,64,2152〓彦根山普請之樣子、聞屆度候而、差上小澤瀬兵衞候、炎天之時分、苦勞共候
- 381,1370,58,1495被差置候儀、第一、敵將石田治部少輔居城に付被下
- 499,1082,58,488井伊右近大夫殿
- 383,651,59,562江州佐和山に、直孝
- 1545,613,103,567〔寛永諸家系、圖傳〕
- 1792,658,67,2205して城郭全美、守勝駿府に下、并江府築城御禮申上、御暇之節、家康公、秀忠公
- 1547,1442,74,1419井伊直政慶長七年二月、四十二歳にて卒す、〓
- 1439,700,73,2161直政卒してのち、同九年の春、台命にのたまはく、佐和山の城地、よろしか
- 623,2039,45,146御直判
- 623,940,53,336七月十五日
- 954,611,105,173〔井伊
- 621,941,56,1242七月十五日御直判
- 413,1239,42,104○政
- 1596,1238,39,109七十
- 1007,810,40,111直政
- 370,1243,40,101ノ誤
- 961,808,40,116直孝
- 1550,1236,44,35六
- 432,283,42,171佐和山城
- 388,288,42,162ヲ直政ニ
- 344,283,42,171賜ヒシ理
- 1906,283,43,174普請奉行
- 1951,285,40,165彦根城ノ
- 304,286,36,40由
- 164,718,45,343慶長九年七月一日
- 162,2454,46,122三五三







