『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.353

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孫すへをかせたまふ、, 略傳〕台徳院樣より右近大夫に被下, 上意、彦根に還全く守護すへしと、御馬并御紋御服拜領、, れ、石壁を高く、隍塹を深して、あらたに城を築き、かたしけなくも、直政か子, らさるのあひた、これを彦根山にうつすへしとて、すなはち御人衆仰付ら, 諸大名に令せしめ、人數を出し、守勝經營す、彦根金龜山城、守勝奉行二年に, 候由、其故ハ、關ケ原御陣之時、直政、本多中務大輔兩人、總大將分之支配被仰, 彌可入精候段、肝要候也、, 〓彦根山普請之樣子、聞屆度候而、差上小澤瀬兵衞候、炎天之時分、苦勞共候, 被差置候儀、第一、敵將石田治部少輔居城に付被下, 井伊右近大夫殿, 江州佐和山に、直孝, 〔寛永諸家系、圖傳〕, して城郭全美、守勝駿府に下、并江府築城御禮申上、御暇之節、家康公、秀忠公, 井伊直政慶長七年二月、四十二歳にて卒す、〓, 直政卒してのち、同九年の春、台命にのたまはく、佐和山の城地、よろしか, 御直判, 七月十五日, 〔井伊, 七月十五日御直判, ○政, 七十, 直政, ノ誤, 直孝, 六, 佐和山城, ヲ直政ニ, 賜ヒシ理, 普請奉行, 彦根城ノ, 由, 慶長九年七月一日, 三五三

割注

  • ○政
  • 七十
  • 直政
  • ノ誤
  • 直孝

頭注

  • 佐和山城
  • ヲ直政ニ
  • 賜ヒシ理
  • 普請奉行
  • 彦根城ノ

  • 慶長九年七月一日

ノンブル

  • 三五三

注記 (34)

  • 1096,653,54,645孫すへをかせたまふ、
  • 956,940,93,1134略傳〕台徳院樣より右近大夫に被下
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