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く候つる、秀吉公御代に繩を御はらせ、三拾六町を一里と御さため、塚を一, たりと云共、彼奉行次第、人足可出之者也、, 東西南北の國々へ繩をはり、これも三拾六町を一里にして、一里ことに塚, 里ことに御つかせ候、其後、家康樣御代に、江戸日本橋を道のはしめに被戌、, 將軍家被仰は、諸海道に一〓塚つき可申由、右, 大將家へ被仰越、則諸代官に被仰付、道中に是をつき、道の兩方に松を植可, りつき初る、, 申由、自右大將家、本多佐大夫、永井彌右衞門奉行に被仰付、東海道、中山道よ, 奧州海道ニ、各一里塚ヲ築シメ給フ、御家人是ヲ監ス、同年五月下旬ニ到テ, 就路中一里塚申付、太田勝兵衞、永田庄左衞門差遣候、何れ之知行方之内, 成就ス, 〔慶長年録, 〔聞見集〕坤昔より、道中なんりくとさたまり有之候といへとも、僞多, 〔家忠日記増補〕〓二月四日、台徳院殿鈎命ニ依テ、東海道、及ヒ越後海道、, 七月朔日, 七月朔日御朱印載タル朱印ハ, 御朱印載タル朱印ハ, ○鹽尻ハ、大, ○朝野舊聞哀, 稿五百七所載, 抵之ニ同ジ、, ○一話一言, 御朱印載タル朱印ハ, 奉行, 始ムソノ, 山道ヨリ, 東海道中, 奥州海道, 秀吉一里, 築カシム, 塚ヲ築カ, 越後海道, 家康秀忠, 二命ジテ, イフ説, シメシト, 一里塚ヲ, 慶長九年是歳, 八一一
割注
- ○鹽尻ハ、大
- ○朝野舊聞哀
- 稿五百七所載
- 抵之ニ同ジ、
- ○一話一言
- 御朱印載タル朱印ハ
頭注
- 奉行
- 始ムソノ
- 山道ヨリ
- 東海道中
- 奥州海道
- 秀吉一里
- 築カシム
- 塚ヲ築カ
- 越後海道
- 家康秀忠
- 二命ジテ
- イフ説
- シメシト
- 一里塚ヲ
柱
- 慶長九年是歳
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- 八一一
注記 (39)
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