『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.673

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梅柳山木母寺隅田村堤のもとにあり、, 王權現とす, きてみるに武藏のくにの江戸からは北と東の角田川なり, かにとありしに、寺僧應諾す、依木母寺の號を賜ひぬ, ひし時、隅田川逍遙のゆくてに、當寺へ立よらせられ、寺號を改むへきはい, 昔は梅若寺と呼ひたりしを、慶長十二年、近衞關白信尹公、武藏國に下り給, こたへせはわかいてゝこしみやことりとりあつめても事とはましを, 又戯に, 梅若丸塚木母寺の境内にあり、塚上に小祠あり、梅若丸の靈を祠りて、山, 慶長十二年, うき事を思ひ出てや古塚に都のたよりまつ風の聲近衞信尹公, 公御筆, 江戸名所圖會〕, 〔駿河草〕, 本社淺間新宮, 慶長十二年, 木母寺文書〕, 〔木母寺文書〕處武(雜ヨ)近衞信基〓, 此詠は、木母寺に藏する處の短册, 眞蹟、今猶傳へて當寺第, 其時翰墨を灑き給ひ, 一の什實とす、〇中略, の和歌なり、名書山城住人とあり, て、木母寺と晝されし, 搖光之部, ○中, ○中, ノ初名, ○信尹, 安部郡, 末, 十九, 略, 略, 藏, ○武, 信尹ノ歌, 木母寺, 慶長十二年二月二十六日, 六七三

割注

  • 此詠は、木母寺に藏する處の短册
  • 眞蹟、今猶傳へて當寺第
  • 其時翰墨を灑き給ひ
  • 一の什實とす、〇中略
  • の和歌なり、名書山城住人とあり
  • て、木母寺と晝されし
  • 搖光之部
  • ○中
  • ノ初名
  • ○信尹
  • 安部郡
  • 十九
  • ○武

頭注

  • 信尹ノ歌
  • 木母寺

  • 慶長十二年二月二十六日

ノンブル

  • 六七三

注記 (40)

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