『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.714

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

十かいつかはさるゝ、, ○高臺院進獻ノ事、本年ノ分ハ、類ヲ以テ左ニ合敍ス、, 八月一日、かうたいゐんとのより、かき一おりらる、, 三月七日、はるゝ、かうたいゐん殿へ、大御ちの人つかはさるゝ、御たきもの, 九月五日、かうたいゐん殿よりあり御まならる, 六日、臣高臺院淺野氏、物ヲ獻ズ、明日、淺野氏ニ練香ヲ賜フ、, 恩院の末寺也、慶長十三年、忠吉君の御養母押賀茂殿の建立にて、清須小あ, 十一月一日、はるゝ、夕かた雨ふる、かみなる、のうたい院殿より、みつかんま, りしを、こゝに移しゝ也、はしめ玄白寺といひしを、慶長十五年押賀茂殿卒, 去、喜秀院光譽貞祖禪尼と號せし後、いまの山號寺號にあらたむ, 閏四月十日、かうたい院殿より、ふりまいる、, 三月六日、はるゝ、かうたいゐん殿、大御ちの人より、, くわい、ばいらる, 〔御湯殿上日記〕, 〔御湯殿上日記〕, 尾張志, 貞祖院新町うらにありて、喜秀院と號し、京の智, 尾張志〕〓古屋寺院貞祖院新町うらにありて、喜秀院と號し、京の智, 〔御湯殿上日記〕六十三月六日、はるゝ、かうたいゐん殿、大御ちの人より、, 府志に、吉, 秀院とか, 六十, けり、文政の書上に, よりてあらたむ、, 名古屋寺院, 六十, 二, 二, 七, 慶長十二年三月六日, 七一四

割注

  • 府志に、吉
  • 秀院とか
  • 六十
  • けり、文政の書上に
  • よりてあらたむ、
  • 名古屋寺院

  • 慶長十二年三月六日

ノンブル

  • 七一四

注記 (31)

  • 754,656,58,644十かいつかはさるゝ、
  • 634,805,63,1575○高臺院進獻ノ事、本年ノ分ハ、類ヲ以テ左ニ合敍ス、
  • 400,658,61,1512八月一日、かうたいゐんとのより、かき一おりらる、
  • 875,653,67,2210三月七日、はるゝ、かうたいゐん殿へ、大御ちの人つかはさるゝ、御たきもの
  • 282,660,60,1427九月五日、かうたいゐん殿よりあり御まならる
  • 1214,570,86,1867六日、臣高臺院淺野氏、物ヲ獻ズ、明日、淺野氏ニ練香ヲ賜フ、
  • 1693,652,69,2210恩院の末寺也、慶長十三年、忠吉君の御養母押賀茂殿の建立にて、清須小あ
  • 163,663,72,2205十一月一日、はるゝ、夕かた雨ふる、かみなる、のうたい院殿より、みつかんま
  • 1578,649,69,2226りしを、こゝに移しゝ也、はしめ玄白寺といひしを、慶長十五年押賀茂殿卒
  • 1458,651,70,1932去、喜秀院光譽貞祖禪尼と號せし後、いまの山號寺號にあらたむ
  • 520,1377,64,1294閏四月十日、かうたい院殿より、ふりまいる、
  • 1114,1369,66,1523三月六日、はるゝ、かうたいゐん殿、大御ちの人より、
  • 998,652,51,494くわい、ばいらる
  • 496,620,98,486〔御湯殿上日記〕
  • 1085,613,105,496〔御湯殿上日記〕
  • 1791,624,82,236尾張志
  • 1813,1369,65,1499貞祖院新町うらにありて、喜秀院と號し、京の智
  • 1787,648,94,2222尾張志〕〓古屋寺院貞祖院新町うらにありて、喜秀院と號し、京の智
  • 1083,608,108,2298〔御湯殿上日記〕六十三月六日、はるゝ、かうたいゐん殿、大御ちの人より、
  • 1503,2602,43,262府志に、吉
  • 1461,2605,39,255秀院とか
  • 1139,1167,41,108六十
  • 1371,656,44,536けり、文政の書上に
  • 1331,650,37,485よりてあらたむ、
  • 1796,943,41,329名古屋寺院
  • 546,1170,42,105六十
  • 1098,1166,41,34
  • 504,1167,39,37
  • 1843,944,36,34
  • 1924,721,45,381慶長十二年三月六日
  • 1936,2450,43,124七一四

類似アイテム