『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.681

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申樣、相濟由候, 參候、未相濟, 十月一日、雨ふる、夕かたはるゝ、朝御さか月、あさか, 典侍中院氏、前掌侍水無瀬氏、唐橋氏、前命婦讚岐等ヲ駿府ニ護送セシメ、, いる、こんとしんたいのりろき女中しゆうの事、しやうくんよりいかやう, 尋デ之ヲ伊豆新島ニ流ス, れいは、御人なくていらす、夕かたの御さか月、いつものことく三こんま, にても申つけ候はんとの事にて、けふみな〳〵するかへ御くたりあり、, 卅日、天晴、板倉ヘ行候處ニ、取紛トテ不對面、門ヨリ歸、及夜半女中衆ノ被, 〔御湯殿上日記〕, 衆呼糺明ノ由候、門外迄行勸中ニ逢候、粗云々ノ事ヲ聞、又直ニ女院御所ヘ, 九月廿九日、天晴、女院御所ヘ參帥局ニ逢候、於勸修寺末, 十月, 口、配、家康、重ネテ板倉重昌ヲ京都ニ遣シ、奏シテ、前典侍廣橋氏、前權, 〔時慶卿記)〕〓十月一日己酉、雨天、又晴陰、五人女中今度曲事ニ付而、駿府, 〔義演准后日記〕〓十月二日、傳聞、内裏女中〓五人歟流罪先駿府下云々、, 〔時慶卿記), 〓十月二日、傳聞、内裏女中衆五人歟流罪、先駿府下云々, ○下略、下文ハ十五年五月二十三日、内, 六十, 侍西洞院時子斥ケラルヽ條ニ收ム、, 己酉朔, 大盡, 二十, 己, 酉, 五, 九, 九二, 府ニ下ル, 内裏女中, 女中衆駿, 五人流罪, 慶長十四年十月一日, 六八一

割注

  • ○下略、下文ハ十五年五月二十三日、内
  • 六十
  • 侍西洞院時子斥ケラルヽ條ニ收ム、
  • 己酉朔
  • 大盡
  • 二十
  • 九二

頭注

  • 府ニ下ル
  • 内裏女中
  • 女中衆駿
  • 五人流罪

  • 慶長十四年十月一日

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  • 六八一

注記 (35)

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