『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.478

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河南は今の遙拜の邊より流藻川筋を流れ、植柳の南より海に入、河北は山, 鹿町の邊りより、三日置を流、海士江より海に入來りける由、南北の分水を, も、大河の水田中に入さる樣ニ、海川の堤を築立、水害を避け玉ふ、其養水備, の懸、廣大の田水に備給ふ、雙方共に屈強之井樋二重に營、いかなる洪水ニ, 引、田水に用來りしに、海口よりは、潮汐さかのほりて、稼〓能實らさる所多, 來りしと云傳ふ、古郷の村名を、新牟田村之小名ニ云傳し也、高瀬小代新地, りたる田數、高田手永ニ而、二千百三十六町、種山野津兩手永ニ而百町余也、, かりき、神君の御代に至り、遙拜山鹿町之間ニ、八字形りの大磧、左右の惣間, 御仕法也、南は高田在の田水に備へ、北は高田手永數十ケ村、種山野津手永, 數三百八十七間、大石を以營み玉ふ、八の〓、の頭ニ船通を明け、通舟支無き, 慶長年中迄は、八代郡人數少かりける由、右新牟田村は、玉名郡より出百姓, 田畑八拾四町三反九畝拾貳歩、新牟田村高九百貳拾四石七斗九升貳合、, 中間と云所有、神君新地御覽之時、能出來たるを、大慶と上意有けるを、村名, 新牟田き、全神君御築立之新村也、其儀左之通, ○中, 略, ○中, 新牟田村, 慶長十六年六月二十四日, 四七八

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  • ○中

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  • 新牟田村

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 四七八

注記 (20)

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