『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.173

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ふに不及とて立出る、其時志摩餞別として金子を送りけれは、我等も兼〓, 勝て出來し候分こては、立身の程見へたり、西方ニき第一能者少候へ者、某, 如をのもの迄も、一手の大將をも仕候得者、骸の上迄も本望の至也、止め玉, 成り、當時中國に在しを、大坂の一亂を聞、關東へ下り、何方へなり共在付ん, 本に可成也、依之かく願ふと申にる、然所に、大坂御陣東西鉾楯に及し間、上, へと、達ふ止めたる所、團右衞門申樣、東方ニき、御人數夥敷中成を以て、隨分, 惡事災難の場にさへ出合候へ者、善惡は我等の仕形次第也、名を揚立身の, 此團右衞門事は、古主加藤左馬助に構われ、慶長十四年より沈淪し、出家と, 方え可登よし塙申たる、肥田志摩申たるは、同ハ東國方に相加り罷上り候, 氣遣有間敷由ニ〓、餞別之金子令返進、水戸を發足致ける由、右團右衞門、古, 主領知千石給候由、團右衞門尉直之豆州三嶋の驛に居住、此所に在たる故、, 何ニと問、されは吾浪人の身なれは、疊の上の奉公ニては中々立身不叶也, 志摩水戸へ被召出、團右衞門も水戸へ參、大坂陣迄在滯之由、, 所持致す所也、日外爰許え參着之節、預申候葛籠の中に、人も馬も入置候間, 塙團右衞門直之かの傳, 〔攝戰實録, 六十, 七, 直之ノ用, 意, 慶長十九年十月六日, 一七三

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