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早雲寺, ヲ池田輝澄等ニ與フルコト、及ビ夫人池田利隆ヲ毒殺セントシタリ, ○池田輝政ノ卒セシコト、慶長十八年正月二十五日ニ、夫人ノ化粧田, トノ説ハ、本月二十三日、池田忠繼卒スル條ニ見ユ、竝ニ參看スベシ、, 御免にて高野より下山し給ふ、大坂へ御越候、秀吉公御懇意にて、御對面、伯, 耆國を可被下と有所に、氏直疱瘡煩出し、文祿元年十一月四日、三十一歳に, は、一家の中に、浮世に殘候輩へ渡し給り候へと宣ひ置、別れ給ふ、其後氏直, 氏綱、氏康、氏政より我等迄相傳、高祖の守と稱をしなり、我既に流人となれ, の引合に納め向にゝ、其夜小田原の城を攻取、其喰殘の搗栗を、錦の袋に入、, 日、小田原の城大森憲頼を被攻落し時、首途に備候搗栗を半分食し、殘を鎧, 出し、此守は高祖の守とて當家代々の實物にて候、其由來は、五代の祖北條, 城の時、氏直高野へ登山有、たかひに暇請にて別れ給ふ時、氏直肌の守を取, 伊豆より切て出、相模を攻平け給ひ、明應三年九月十三, て逝去有、北條の嫡流斷絶す、氏直御後室を、秀吉公御下知にて、池田三左衞, 〔附録〕, 〔武家閑談〕七小田原北條氏直の御臺所は權現樣御息女なり、小田原落, 元和元年二月五日, 號新九郎盛, 時、後改氏茂, 七, 北條氏直, ト夫人, 七九〇
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- 號新九郎盛
- 時、後改氏茂
- 七
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- 北條氏直
- ト夫人
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- 七九〇
注記 (23)
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